飛鳥大仏のバス停留所から14時50分のバスに乗った私たちは、15時10分に『天武・持統陵』で下車しました。
「古墳つながり」ということで、明日香の前日(2021年4月3日)、三輪山登拝の帰りに寄った『箸墓古墳』も一緒にご紹介します。
箸墓古墳は、邪馬台国の女王・卑弥呼のお墓説もある歴史ファンの間ではかなり有名な古墳です。
※ 『天武・持統天皇陵』の取材は2021年4月4日(日)、『箸墓古墳』の取材は前日の4月3日(土)でした。
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のどかな田園のなかの『天武・持統天皇陵(檜隅大内陵)』
『飛鳥大仏』(「飛鳥寺」の最寄りのバス停)から『天武・持統天皇陵』までは、所要時間約20分なので、さすがに徒歩では大変です。
『天武・持統天皇陵』の周囲はのどかな田園風景で、私たちが訪れた時は、小雨が降り人影がまったくありませんでした。
東西約58m、南北径約45m、高さ約9mの円墳の周囲を歩けるのですが、木が鬱蒼と茂り少し怖い雰囲気です。
『天武・持統天皇陵(檜隅大内陵/ひのくまのおおうちのみささぎ)』は、古代律令国家体制の基礎を築いた「天武天皇」と、のちに皇位を継承し「藤原京」を造営した「持統天皇」が一緒に埋葬されている古墳です。
簡単に被葬者が特定できないのが「古墳」というものなのですが、「阿不幾乃山陵記(あふきのさんりょうき)」に、鎌倉時代に盗掘されたときの記録があり、その内容が「日本書紀」「続日本紀」の記述と完全に一致していることから、この古墳が天武天皇と持統天皇のお墓であることは確実だとされています。
ぜひ足を延ばしたい「鬼の雪隠」と「鬼の俎」
『天武・持統天皇陵』から『高松塚古墳』に徒歩で向かうときは、県道209号線(野口平田線)を使うより、「鬼の雪隠」と「鬼の俎」を経由する形で、農道の中を歩いた方が少しだけ近道になるようです。
二つの石は「謎の石造物」に見えますが、実際は欽明天皇陵の横口式石槨(よこぐちしきせっかく)の底石(鬼の俎)と蓋石(鬼の雪隠)だったようです。
横口式石槨は、古墳時代後期から末期に造られた古墳によく見られ、高松塚古墳とキトラ古墳も同じ形式です。
二つの巨石は、遊歩道を挟んだ場所にあります。なぜこうなったのかはいまだ解明されていません。
どうやら昔の人も私たちと同じく、これらの巨石を「謎の石造物」だと思っていたようで、「鬼が霧で旅人を迷わせ、捕らえて爼で調理し、満腹になったあとに雪隠(お手洗い)で用を足した」という伝説が残っています。
それぞれの巨石の大きさは以下の通りです。
- 底石(俎):長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m
- 蓋石(雪隠):内幅約1.5m、高さ約1.3m
ここから「飛鳥駅」や「高松塚古墳」へのアクセスは、グーグルマップか現地で入手した地図でご確認ください。
スポット名 | 天武・持統天皇陵(檜隅大内陵)/鬼の俎・鬼の雪隠 |
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所在地 | 高市郡明日香村野口(鬼の雪隠は平田) |
電話番号 | 0744-54-2362(飛鳥京観光協会) |
交通アクセス | 飛鳥駅から15分 |
駐車場 | 天武・持統天皇陵の方に4台分 |
『箸墓古墳』の纏向遺跡周辺はとにかくおもしろい!
『箸墓古墳』は卑弥呼のお墓?
次は明日香の前日、4月3日(土)に三輪山登拝の帰りに立ち寄った「箸墓古墳(はしはかこふん)」をご紹介します。
箸墓古墳は、墳丘長278メートルの前方後円墳。第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定(じじょう)されています。
箸墓古墳の築造年代が、4世紀中期以降とする説もあれば、邪馬台国の卑弥呼の没年(248年)頃とする説もあり、後者の論者の多くは、「百襲姫(ももそひめ)が卑弥呼、纏向遺跡が邪馬台国だ」とする説を唱えています。
纏向遺跡(まきむくいせき)は奈良県桜井市北部に位置し、東西約2㎞、南北約1.5㎞に「箸墓古墳」をはじめとする大型の前方後円墳と、古墳時代前期に造られたとされる大規模な集落遺跡があります。
出土した土器から、関東や九州と交流があったことが判明しており、3世紀頃、この地が日本列島の中心的役割を果たしていたことがわかります。
『赤糸の小道』は数々の興味深い伝説に彩られている
縁結び 赤糸の小道
古事記に綴られた「赤糸伝説」を体感する周遊ルート(約4㎞)です。活玉依媛(いくたまよりひめ)と大物主(おおものぬし)は1本の糸で結ばれていました。この事より、恋人同士が赤い糸で結ばれていると信じるようになりました。この赤糸発祥の地を二人で辿ってみませんか。
(周遊ルート)
(スタート)①箸墓古墳→②苧環塚(おだまきづか)→③建勲神社(たけいさおじんじゃ/御祭神は織田信長。公園の中にある)→④富士・厳島神社(古墳の石室の上に祠がある謎の神社)→⑤神御前神社(かみのごぜんじんじゃ/御祭神は百襲姫)→⑥七乙女伝承→⑦狭井神社(さいじんじゃ/三輪山の登拝口、ご神水「薬水」で知られる)→⑧大美和の社(おおみわのもり/展望台)→⑨久延彦神社(くえひこじんじゃ/合格祈願・学業成就)→⑩若宮社(大田田根子を祀る)→⑪夫婦岩(縁結び・夫婦円満にご利益)→⑫大神神社(おおみわじんじゃ)(ゴール)※ 狭井神社~は大神神社の境内
「箸墓古墳」の最寄りの駅はJR巻向駅で、大神神社の近くにあるJR三輪駅からも(なんとか)徒歩圏内です。※ 箸墓古墳のある遺跡の名称は『纏向(まきむく)遺跡』で、駅名は『巻向(まきむく)駅』です。
倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)は、夜ごと訪ねてくる男性に「ぜひ顔をみたい」と頼む。男は最初拒否するが、断りきれず、「絶対に驚いてはいけない」という条件つきで、朝小物入れをのぞくよう話した。朝になって百襲姫が小物入れをのぞくと、小さな黒蛇の姿があった。驚いた百襲姫が尻もちをついたところ、置いてあった箸が陰部に刺さり、この世を去ってしまったという。
活玉依毘売(いくたまよりひめ)のもとに毎晩麗しい男が夜這いに来て、それからすぐに身篭った。しかし不審に思った父母が問いつめた所、活玉依毘売は、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が3回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになったという。(wikipedia「大物主」より引用)
百襲姫の伝説は聞いただけでも、かなり痛そうですが、活玉依媛伝説は「運命の赤い糸」のルーツのようなロマンティックな伝説ですよね。
もちろん、この百襲姫の伝説が、「箸墓古墳」の名前の由来になっています。
赤糸の小道ルートの話に戻りますが、②『苧環塚』は、玉依姫が糸が3回りだけ残った苧環を土に埋めた場所だと伝わっています。上のお花の名前も苧環(おだまき)です。このお花の別名は「糸繰草(いとくりそう)」だそうです。名前の由来は形のようです。
画像引用元:語源由来辞典(オダマキ/苧環/おだまき)
また⑤『神御前神社(かみのごぜんじんじゃ)』は、崇神天皇が八百万の神々を招いて、疫病の蔓延を終息させるために占いをした「神浅茅原(かむあさぢはら)」の比定地です。
大物主が崇神天皇の叔母である百襲姫にのりうつり、「私を敬えば自然に疫病は平らぐ」と告げ、そのとおりにしましたが効果はありませんでした。
そこで、崇神天皇が「夢の中で教えてください」と頼んだところ、ふたたび大物主が現れて、「大田 田根子(おおたたねこ)という人を見つけ出し、私を祀らせれば、祟りが鎮まり、国は平穏を取り戻すだろう」と告げたそうです。
大田 田根子という男性は、茅渟県(ちぬのあがた)陶邑(すえむら)というところで見つかり、大物主のお告げどおり、疫病は鎮まったとされています。もちろん諸説あるのですが、これが「大神神社」のはじまりです。
ついに神武天皇が登場!「七乙女伝承(七乙女伝説)」とは?
昔「高佐士野(たかさじの)」というところに、7人の乙女がいました。
大和を平定したとされる「大久米命(おおくめのみこと)」が「神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこのみこと=のちの「神武天皇」)」に、「7人のうちの誰かを妻にしてはどうですか?」と勧めたところ、「伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)/媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)」のことをとても気に入り、のちに初代天皇・神武天皇の皇后となったとされています。
狭井神社にある歌碑
『葦原の しけしき小屋に すがだゝみ いやさや敷きて わが二人寝し』 神武天皇
『狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす』 伊須気余理比売
このハイキングコースが、「赤糸の小道」とよばれる理由がよくわかりますね。
パワースポット『箸墓古墳』周辺は素敵な散歩コース
大神神社から歩くこと25分。住宅街に突然こんもりと茂った大きな森(古墳ですが)が見えてきます。
森を右手に見ながら、遊歩道を歩きます。昼間でも人気がないので、夜間に女性一人だと結構怖いかもしれません。
宮内庁が「大市墓(おおいちのはか)」という名で管理している「箸墓古墳」は、邪馬台国の女王卑弥呼の墓だという説もある全長約276mの前方後円墳。日本最古の前方後円墳のひとつで、3世紀中頃から後半の築造と推定されています。
卑弥呼の没年は247年(3世紀中ごろ)。それよりも若干新しい時代のものだという説を唱える論者の中には、卑弥呼の宗女(=姪、一族の世継ぎの娘)である壹與(いよ)の墓だと考えている人もいます。
拝所は、「天武・持統陵」と同じような作りになっています。もちろん、宮内庁仕様。
「ため池百選」に選定された美しい風景
古墳の周囲に掘られた堀(周濠)は、2010(平成22)年に『箸中大池』として農林水産省の「ため池百選」に選定されたほどの、風光明媚なスポットです。
曇り空にもかかわらず犬の散歩をする人もいました。
ため池の周りが遊歩道になっており、半分ほど散った桜のピンクと菜の花のイエローが夢のような美しさでした。
玉依姫と大物主を結ぶ『赤糸の小道 起点』。私たちは逆ルートで「大神神社」からここ「箸墓古墳」に来ました。どちらでもとくに問題はなさそう。
約1.3㎞の散歩道。いい運動になりそうです。
「工房でんでんむし・ひみこの庭(ひすい庭園)」からみた箸墓古墳。私たちが行ったときは閉店間際でカフェは利用できませんでしたが、箸墓古墳を眺めながら、「かまどで炊いたご飯を使ったおむすびランチ(現在は要予約制)」やドリンクが楽しめるおしゃれなスポットです。
また、「糸魚川ひすいを使った勾玉作り体験」は、大人5,000円~、こども2,000円~。すでに製品になった勾玉やブレスレットなどのアクセサリーも販売していました。
お出かけ前には電話で予約されることをおすすめします。
名称 | 工房でんでんむし・ひみこの庭(ひすい庭園) |
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所在地 | 桜井市箸中772-1 箸墓古墳北側 |
電話番号 | 0744-46-0570 |
営業時間 | 10:00~17:00 |
定休日 | 水曜日 |
公式サイト | https://him-sakurai.localinfo.jp/ |
JR「巻向駅」は旅心をくすぐる駅
「巻向駅」は、JR西日本桜井線(万葉まほろば線)。単線の無人駅でした。ICカード読取機はありましたが、普通乗車券用の自動改札機はありませんでした。
1日の平均乗車人員は400人前後のようです。「山野辺の道」ウォーキング目的の人や歴史ファンが多そうですね。
奈良方面、桜井・高田・王子方面とも、1時間に1~2本。乗り遅れるとちょっと大変です。
とにかく楽しくて、めちゃめちゃ美味しい「三輪そうめん流し」
大神神社、三輪山といえば、「三輪そうめん」。話が前後しますが、三輪山登拝のあとは、やっぱり三輪そうめんが食べたくなりますよね。
というわけで、今回お邪魔したのが「三輪そうめん流し」という、「そのまんまの名前」のお店。
時系列でいえば、箸墓古墳の前にお食事をしました。
このお店はリーズナブルな料金設定ながら、おしゃれで落ち着いた雰囲気の中で、美味しい「流しそうめん」を楽しむことができるお店。
「流しそうめん」ができるのは、現在奈良県ではここだけのようです。
私たちが食べたのは、流しそうめんと釜めしに、できたての手作り豆腐やお吸い物までついたセット。900円(税込)でした。
このセットになぜか「骨までトロトロスペアリブの角煮」がついた豪華なセットもありましたが、この日は売り切れになっていました。こちらは1,100円(税込)。
テーブルの中央に「流れるプール」風の「そうめん流し機」があります。これが意外に流れが早く、目がまわる人がいるかもしれません。大人でも楽しい。
「そうめん」と「にゅう麺」から選べます。当たり前ですがにゅう麺はまわりません。
そうめんだけではなく、釜めしもアサリの出汁がよく出ていて美味しかったです。とても具沢山でした。この内容で900円(税込)はお得ですね。
名称 | 三輪そうめん流し |
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所在地 | 奈良県桜井市三輪460-24 |
電話番号 | 080-3037-3838 |
営業時間 | ランチ:10:30~16:00/ディナー:16:00~20:30 ※ 現在ディナータイムは予約のみ ※ 売り切れ次第終了 |
定休日 | 木曜日 |
備考 | カード、電子マネー不可、ペット可(事前問合せ要)・サプライズ可(事前相談要) |
関連サイト | https://tabelog.com/nara/A2904/A290402/29010755/ |
今回は、2021年4月4日(日)に訪れた明日香村の『天武・持統陵』と、前日の3日に訪れた桜井市の『箸墓古墳』をご紹介しました。
箸墓古墳は、邪馬台国の女王・卑弥呼のお墓だったのでしょうか。真実は誰にもわかりませんが、たとえ、魏志倭人伝で紹介されていた「邪馬台国」は九州だとしても、3世紀、ここにも邪馬台国と同レベルの高度な文明が栄えていたことは確実だと思います。