今回は、新潟の最強パワースポット、「彌彦神社(やひこじんじゃ)」を徹底解説します。日本第三位の大きな鳥居が有名で、地元の人からは「おやひこさま」と呼ばれ、信仰を集めています。
御祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御曾孫(ひまご)にあたる「天香山命(あめのかぐやまのみこと)」。
神武天皇即位四年に、越後国(新潟県)を開拓した天香山命は、越後の産業興降(こうりゅう)に尽力されたと伝わり、「産業の神様」として、仕事運、商売運をはじめ、さまざまなご利益をもたらしてくれるとされています。(取材は令和2(2020)年10月8日)
彌彦神社の鳥居はとにかく大きい!(30.16m)
彌彦神社(弥彦神社)の大鳥居の高さは30.16mで、2020年11月現在、日本で第三位の高さを誇っています。1位から3位までが、すべて30mを超える高さで、下から見上げるだけではどの鳥居が一番高いかの判定は不可能でしょう。
彌彦神社の鳥居は、両部鳥居(りょうぶとりい)としては、日本一の高さとなっています。両部鳥居とは、本体の鳥居を支える稚児柱のある鳥居で、広島県廿日市(はつかいち)市宮島の厳島神社の鳥居が有名です。
ちなみに厳島神社の鳥居は高さ約16m。この鳥居がとても大きく感じるのは海中にあるからでしょうか。厳島神社、奈良市の春日大社、敦賀市の氣比神宮(けひじんぐう)が「日本三大鳥居」とされています。
御神体『彌彦山』を背景にそびえ立つ大鳥居
遠くにそびえる山が、彌彦神社の御神体の「弥彦山」です。その山頂に彌彦神社の奥宮(御神廟)があります。弥彦山には霧がたなびき幻想的。
大鳥居の神額にはしっかりと「彌彦神社」の文字が読み取れます。大きさは、なんと12畳のお部屋と同じ。大鳥居のデザインは、後ほど紹介する一ノ鳥居をモデルにしています。
日本一の座は奪われるも圧倒的な存在感
上越新幹線や高速自動車道の開通を記念し、昭和57(1982)年11月に新潟県が奉建した大鳥居。現在、日本一高い鳥居というわけではないのですが、今でもこの大鳥居は、県民たちの真心と彌彦の大神様の大御心(おおみこころ)とを結ぶシンボルとなっているようです。
大鳥居を持つ神社の第1位と第2位も日本国内有数のパワースポットだとされますので、ご紹介しておきましょう。
大鳥居ランキングの第2位は、奈良県桜井市の『大神神社』(32.2m)
鳥居の高さ第2位は、パワースポットとして名高い奈良県桜井市の「三輪明神 大神
昭和天皇ご親拝を記念し、また天皇御在位60年を奉祝して、昭和61(1986)年5月28日に完成しました。
「大神神社」は、山が御神体で本殿はありません。御神体である三輪山の標高は467mですが、勾配はなかなかきつめ。登拝の受け付けは午前中のみとなります。
大鳥居ランキングの第1位は、和歌山県田辺市の『熊野本宮大社』(33.9m)
鳥居の高さ第一位は、平成12(2000)年に完成した高さ33.9mの熊野本宮大社の大鳥居です。和歌山県田辺市にあります。
鳥居の場所は、現在の熊野本宮大社からは、約500m(徒歩7~8分)ほど離れた大斎原(おおゆのはら)という場所にあります。
大斎原には、かつて境内面積約1万1千坪もの規模を誇る旧・熊野本宮大社が存在していたのですが、明治22年(1889)年8月に発生した大水害で被害を受け、現在の場所に遷座することになりました。
大鳥居から彌彦神社までの距離はどのくらい?
彌彦神社から大鳥居までは、3.7㎞、車で約8分となります。大鳥居のすぐ近く(彌彦神社寄り)には、セブンイレブン弥彦大鳥居店(住所:新潟県西蒲原郡弥彦村矢作7346-2・電話:0256-94-2923)があります。カーナビを利用の際は、セブンイレブンがおすすめ。
このちらしは、「新潟のパワースポット!彌彦神社の奥宮(御神廟)には車やロープウェイで!」の記事で紹介するパノラマタワーの1階でいただいた略地図です。※ この略地図は、かなり省略されていますので、実際はこの地図よりも距離を感じます。
彌彦神社のおすすめのお土産は『笹だんご』
彌彦神社の参拝には神社脇駐車場が便利
彌彦神社参拝者用の駐車場は、基本的に神社脇駐車場(大門町駐車場)です。ただし、彌彦神社・奥宮(御神廟)への登拝やトレッキングなどで、長時間の駐車は、競輪第1駐車場を利用することになります。どちらも無料です。
アンテナが林立する不思議な神域・弥彦山
右手に駐車場、左手にお土産物店、正面には彌彦神社の奥社(御神廟)のある弥彦山が見えます。弥彦山の標高は634m。ちょうど東京スカイツリーと同じ高さです。
弥彦山は、彌彦神社の御祭神・天香山命と妃神(ひめがみ)の熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)を祀った霊山として古くから人々の信仰の対象となり、山全体が彌彦神社の御神域となっています。
写真の撮影ができなかったのですが、私たちが行ったときは、山の頂上付近に霧がたなびき、とても神秘的で厳かな雰囲気を醸し出していました。
ただし弥彦山には、各テレビ局、FMラジオ局の中継所がアンテナを設置しており、少し不思議な風景です。
名物・「かめや」の笹だんご
https://twitter.com/Jry6C/status/1321639245413376001
彌彦神社の向かいにある「かめや」さんで、定番のよもぎの笹だんごと弥彦産の枝豆「湯あがり娘」の笹だんごを買いました。どちらも5個入り700円(10個入1,400円)。消費期限はそれぞれ4日と3日と非常に短いのでご注意ください。
私は冷凍にもしましたが、当然のことながら出来立てが一番おいしかったです。香りが絶品の「よもぎ」、白いお団子にずんだ餡が入った「枝豆」。甲乙つけがたいのですが、私の好みは「よもぎ」のほうでした。
静寂に包まれた10月の彌彦神社
こちらは「おもてなし広場」でいただいた地図です。笹だんごの「かめや」さんは、一の鳥居の近くにあります。
おもてなし広場にには、無料で利用できる源泉100%の足湯・手湯(タオルは100円で販売)、足湯につかりながらマッサージが受けられるリラクゼーションサロン、農産物直売店、喫茶店、うどんや串カツの楽しめるフードコートがあります。
大鳥居とそっくりな彌彦神社の『一の鳥居』
新緑の季節かと見間違うほどの樹木の緑と鳥居の朱のコントラストが美しい。さすがは新潟ナンバー1のパワースポットです。大鳥居はこちらの一の鳥居を元にデザインされているそうです。まるで親子のようですが、こちらがお父さん。身長は約6mです。
ちなみに一の鳥居の社号額の大きさはたたみ一畳分。大鳥居は十二畳分でしたね。彌彦神社の社殿も火事で焼失する前は、朱塗りだったといわれています。
新潟屈指のパワースポット・彌彦神社ってどんな神社?
現代語訳(?):御祭神の天香山命(あめのかぐやまのみこと)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)のひ孫さんで、天孫降臨のお供で天上界から地上に降り、和歌山県の熊野に住んでいました。
その後、神武東征の際には、不思議な威力を持った剣を贈り、大きな手柄を立てました。
そして、「北のはてを平定のうえ、国土を開発せよ」という神武天皇の命令を受け、新潟に行きました。
そこで、地元の住民を指導し、農耕漁業をはじめ、さまざまな産業を教えました。天香山命は、この地方の文化産業の基本を築いたご先祖の神様です。
このような経緯があり、早くから人々は天香山命の徳を尊敬し、この地に社(やしろ)を創建しました。(創建は、2,400年ほど前だと伝えられています)
(彌彦神社は)人々が、真心を込めて崇敬を捧げ続けた古社であり、遠くは万葉集でも彌彦の神を称えています。
平安時代のはじめには、霊験があらたかであることから、「名神(古代における社格の1つ)」の神位(しんい)を授けられています。平安時代中期に編纂された律令の施行細則を取り決めた「延喜式」には、「名神大社」と記されています。
鎌倉幕府は、彌彦神社に三千貫(一貫は銭1,000枚分≒10~15万円)の領地を与え、上杉謙信は助力を祈り、徳川氏もまた、五百石(1石は一人の人間が一年間に食べるお米の量=150㎏=一両)の領地を贈りました。
そして、明治4年に彌彦神社は、国幣中社(神社の等級)の一つに加わりました。ご皇室をはじめ、一般の人々からも崇敬を集め、明治11年には明治天皇が、昭和47年には天皇皇后両陛下が、そして、昭和56年には、皇太子と皇太子妃の両殿下がご参拝されました。
昭和22年には宗教法人となり、神社本庁に属しました。
「決まりごと」一、乗り物で入ること。一、木と竹を伐ること。一、魚と鳥を獲ること。これらのことは、境内で禁止します。
荘厳な印象の境内
雰囲気のある石橋
境内に入ると、趣のある石橋があります。彌彦神社の境内には樹木が生い茂り、森林浴も楽しめリフレッシュできます。この石橋は巨大な一枚岩でできているため、どこにも継ぎ目がありません。
「玉の橋」は神様のための橋
フォトジェニックな「玉の橋(御神橋/ごしんきょう)」。境内の御手洗川(みたらしがわ)に架かっています。公式サイトによると、この橋は神様がお渡りになる橋で、明治45(1912)年の社殿消失以前には拝殿前にあったそうです。現在の玉の橋は、人間の渡る石橋の左横にあります。
陸上競技大会の貴重な入賞額が見学できる休憩所『絵馬殿』
「絵馬殿」は、大正5(1916)年に完成した木造平屋の建築物。登録有形文化財に指定されています。
彌彦神社の隣の競輪場は、かつては陸上競技場で、絵馬殿には当時の競技会の入賞額などがたくさん飾られています。タイムスリップしたような不思議な感覚を味わえます。室内には椅子があり休憩もできます。
『手水舎(てみずしゃ)』で身を清めて、『二の鳥居』へ
二の鳥居は高さは一の鳥居と同じ6m。こちらは、稲田石製の鳥居で、形式は最も普及している明神鳥居。ここから堂々とした社殿がはじめて望めます。
神様の馬は、山本瑞雲の作品『神馬舎』
上手に写真が撮れなくて残念ですが、「神馬舎」には木造の馬がいました。神馬とは、神様が乗られる馬で、生きている馬はもちろんのこと、木製や銅製の馬を奉納することもあります。
この神馬は、「智恵子抄」や「道程」で知られる詩人・高村光太郎の父で、上野の「西郷隆盛像」を作った高村光雲(1852-1934)の高弟・山本瑞雲(1867-1941)の作品です。
長気(おさげ)と長邊(おさべ)の兄弟神が守る随神門
随神門の左右には、紀伊国熊野から伊夜日子大神様に随行した「長気(おさげ)」と「長邊(おさべ)」の兄弟神が鎮座しています。随神門は、昭和15(1940)年。紀元二千六百年を祝って建立されました。
右が口をかすかに開けている長気、左が口をしっかり閉じている長邊。狛犬と同じように、「阿吽(あうん)」の関係になっています。
狛犬もいます。彌彦神社の狛犬はスリムでワイルド。築地本願寺や靖国神社の狛犬の設計で有名な伊藤忠太の図案により、新海竹太郎が原型を作成しました。
そしてこの狛犬は、大正時代を代表する石工・酒井八右衛門の代表作であり、国の登録有形文化財に指定されているそうです。
彌彦神社の参拝作法は『二礼 四拍手 一礼』
明治45(1912)年に旧本殿以下の諸殿舎が火事で焼失し、現在のものは伊東忠太の図案により、5年後の大正5(1916)年に再建されたものです。
彌彦神社の参拝作法は、「二礼 四拍手 一礼」。一般的な「二礼 二拍手 一礼」とは少々異なります。彌彦神社と同様の参拝作法の神社は、島根県の出雲大社と大分県の宇佐神社があります。
堂々としたたたずまいの彌彦神社。どこもかしこも立派で絵になる神社でした。
彌彦神社の摂社と末社
弥彦大神の妃神、熟穂屋姫命の願いは叶った?
「妻戸神社」は、弥彦大神の妃神である「熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと/ほやひめ)」を祀った神社で、新潟県長岡市寺泊野積にあります。ご利益は、夫婦円満、家内安全、大漁満足など。
弥彦大神が、野積海岸で地元の人に漁業や塩作りの方法を伝授した後、今度は、米作りもできるよう荒れ地を開拓しようと考え、妻に黙って山を越えました。仕事が終わったら、妻を呼ぶつもりだったのですが、彼女は夫を追いかけてしまいました。
弥彦大神に口止めされていたにもかかわらず、木こりが彼女に行き先を告げてしまいそうになったとたん、彼は石になってしまいました。
妃神は自分のわがままを恥じ、夫の仕事の成就を祈り、木こりの供養をしながら、泊野積の地にとどまったとされています。
伊夜日子大神様の六代の御子孫神(六王子)を祀る摂社とゆかりの末社が境内外に十八社
彌彦神社の摂社と末社の詳しい解説は、彌彦神社の公式サイトをご覧ください。鳥居の向こうには、静寂に包まれた神秘的な空気が漂っています。
国の重要文化財『十柱神社』は茅葺屋根の桃山建築
向かって一番右奥にある茅葺(かやぶき)屋根の「十柱神社(とはしらじんじゃ)」は、昭和25(1950)年に国の重要文化財に指定された貴重な建物。小さな神社ですが、桃山時代の様式を残しています。
元禄7(1694)年、長岡藩主・牧野忠辰(まきのただとき)によって現在の「舞殿(まいどの)」あたり(当時は森の中)に創建され、明治3(1870)年、信濃川分水路の工事の際は、安全を祈願して川のそばに遷(うつ)し、弥彦大神と山川の神あわせて十柱を祀っていました。
ところが*明治6(1873)年、工事の中止が決定したために、現在の場所に遷されました。*他の資料では中止は明治8(1875)年の出来事となっています。なお、平成2年には屋根の全面葺き替え(ふきかえ)が行われています。
御祭神は紆余曲折があり、現在は、大己貴神(オホナムチノカミ)(=大国主命/オオクニヌシノミコト)をはじめ十柱が祀られています。
立派で清潔なトイレ
彌彦神社の境内にあるトイレ、どうしても汚れがちになる野外のトイレですが、彌彦神社のトイレは新しく掃除が行き届いていて、とても綺麗。中央の部屋は休憩室です。自動販売機もあり、暖かいオレンジ色の明かりに癒されます。
橋掛廊下で結ばれた楽舎と舞殿
向かって右が「舞殿」、左が「楽舎」で、橋掛廊下(はしがかりろうか)で結ばれています。伊夜日子大神様に奉納する神楽を奏するための建物です。
彌彦神社・斎館は勅使(天皇の使者)の宿泊施設だった
斎館は内部を見学することはできませんが、10畳の書院座敷,10畳間,20畳間,6畳2間からなり,お風呂とお手洗いがあるそうです。こちらは大正5(1916)年に完成した建築物で、シックでとても趣があります。
貴重な在来種の鶏や鹿が勢ぞろい!
彌彦神社では、絶滅危惧種も含め、国の天然記念物に指定されている日本鶏を飼育しています。見たこともない珍しい鶏、可愛らしい鶏を見るチャンスです。ぜひここにも足を延ばしてください。
蜀鶏/唐丸(とうまる)は、新潟県原産の天然記念物の鶏
新潟県原産の唐丸は黒い鶏。品種ごとに小屋が分けられていて、それぞれ上に説明があります。お子さんたちも喜びそう。
ここは本当に珍しい鶏ばかりです。国の天然記念物の日本鶏は17品種いるそうですが、絶滅危惧種も含めこの「日本鶏舎」で大切に育てられています。
運が良ければ、可愛らしい鹿の親子が見られるかも?
普段はこのような微笑ましい光景が見られるようですが、私たちが訪れた時は、ほとんど屋根の下にいましたので、写真はお借りしました。
日本相撲連盟の「土俵基準」に即した本格的な相撲場
相撲場は、平成27(2015)年に、大正5年の御遷座から百年の記念事業として建設されました。
弥彦村では、2016年から毎年、大相撲「伊勢ヶ浜部屋」の夏合宿が行われてきましたが、2020年の今年は、新型コロナウイルスの影響で中止となりました。
伊夜日子大神が武勇に優れた神であることにちなんで、毎年夏に弥彦神社氏子青年会の若者が、三役の力士3人と行司1人に扮し、横綱の土俵入りの神事「相撲節会(すもうせちえ)」を行います。相撲節会の方は2020年も開かれ、8月27日に無事行われました。
彌彦神社の御朱印は…
またしてもコロナのため、御朱印帳には直接書いていただけませんでしたが、彌彦神社と彌彦神社御神廟の御朱印をいただきました。初穂料はそれぞれ500円でした。
彌彦神社の基本情報
名 称 | 越後一宮 彌彦神社 |
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住 所 | 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2 |
電話番号 | 0256-94-2001 |
アクセス方法 | 弥彦駅から徒歩15分(約1㎞) |
公式サイト | http://www.yahiko-jinjya.or.jp/ |
今回は、新潟屈指のパワースポット「彌彦神社」の魅力をお伝えしました。小雨が降ったり止んだりの天気でしたが、それも彌彦神社の静かで厳かな雰囲気に良くマッチしていました。彌彦神社は建築物の美しさも要チェックです。
神社だけでなく、土俵や珍しい日本の鶏にも出会え、テーマパークのような楽しさもあるおすすめの神社です。
次回は、弥彦山の山頂にある奥宮(御神廟)をご紹介します。