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『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』はすごい!縄文人がパワースポットで天体観測?!

『金山巨石群』とは、岐阜県下呂市にある三か所の巨石群(『岩屋岩蔭(いわやいわかげ)遺跡巨石群』、『線刻石(せんこくせき)のある巨石群』、『東の山巨石群』)の総称。

『東の山巨石群』のみ、ほかの二か所から見て真東の山中にあり、さらに「40分程度の登山」が必要だということですが、個人で行くのは難しくツアーにご参加ください。

金山巨石群の巨石は、大きいもので高さ9~10mもあり、いずれも約7,000年前の噴火によってできた濃飛流紋岩(のうひりゅうもんがん)。別の場所から移動してきた(運ばれてきた?)ものであることが判明しています。

驚いたことにこれら巨石群は、縄文人が天体観測用に使っていたものであり、彼らの暦は、現在私たちが使っているグレゴリオ暦とほぼ同程度の精度だったという説があるのです。

私が友だち2人と、金山巨石群を訪れたのは2020年12月12日(土)でした。

目 次
  1. 『金山の巨石たち』は自然現象でたまたま転がってきた「ただの巨大な石」なのか?
  2. 大ヒットアニメーション映画『君の名は』に登場する金山巨石群のポスター
  3. 『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』を持って、現地に向かおう!
  4. 「1年は365日、閏年は4年に1度」では完ぺきな暦とはいえない
  5. 現代人にも非常に馴染みやすい金山暦
  6. 3つの楕円形と彫刻と2本の線刻からインスパイア!
  7. 『岩屋岩蔭遺跡巨石群』にも謎がいっぱい!
  8. 北極星や北斗七星も観測!
  9. スポット光のズレから閏年を考え出した縄文人
  10. 太陽カレンダーシュミレータ『再現館』は休憩もできる
  11. 現地の説明看板一挙ご紹介!
  12. 金山巨石群(&リサーチセンター)へのアクセス

『金山の巨石たち』は自然現象でたまたま転がってきた「ただの巨大な石」なのか?

岩屋岩蔭遺跡看板

人里離れた山奥に、9~10m級の巨石がゴロゴロ転がる『金山巨石群』。今回私たちは、山頂にある『東の山巨石群』以外の2か所の巨石群(岩屋岩蔭遺跡巨石群と線刻石のある巨石群)を訪れました。

たとえこれが、縄文人の天体観測場所ではなかったとしても、十分有名な観光地になりそうなスポットなのですが、旅番組などでもあまり見かけませんよね。私も岐阜県のパワースポットを調べていて偶然見つけました。

近年、市民団体により岩屋岩陰遺跡及びその周辺の巨石が天体の観測に使用された可能性が指摘されているが、考古学的に実証されたものではない。市民団体が「線刻」と主張する痕跡も、マグマが固結する際に形成された「柱状節理」によるものとみるべきである。

古地磁気学的手法により、巨石群が「移動または回転を伴って現位置に定置した」と判定された事を、人工説の傍証とする意見もあるが、高知県足摺岬の巨石群に関して、同様の状況が「地震などの自然現象」によって形成された可能性も指摘されている。(wikipedia「岩屋岩蔭遺跡」より)

これを読む限り、地元の市民団体が「金山巨石群は、縄文人の天体観測場である」と主張しているだけで考古学的に実証されたものではなく、巨石も「地震などの自然現象」でたまたま転がってきただけという意見の方が有力のようです。

一方で、『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』では、美しい証拠写真を多数添付して、「金山巨石群=縄文人の天体観測場説」を唱えています。

どちらの説が正しいのか、実際に現地を訪れた私が『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』を参考に検証してみたいと思います。

高知県足摺岬の巨石群と『金山巨石群』はそんなに似ているのか?

金谷加巨石群の巨石

高知県足摺岬の巨石群が地震などの自然現象で転がってきた可能性が高いため、金山遺跡群も同様だということなのでしょう。まず、足摺岬(あしずりみさき)の巨石群を確認してみましょう。

足摺岬の巨石群は『唐人駄場遺跡(とうじんだばいせき)』とよばれているそうです。

『唐人駄場遺跡』も最強のパワースポット!

『唐人駄場遺跡』は、四国の最西端、高知県土佐清水市の足摺岬に位置し、知る人ぞ知るパワースポットだといわれています。

『唐人駄場遺跡』には、唐人(外国人)が開拓した平らで広い場所という意味があるそうで、当時の人が巨石から太平洋を見渡した時にそう感じたのでしょう。動画は「唐人とは異人、光り輝く神の居場所」だと述べています。

高さ6~7m級の巨岩が、森の中にゴロゴロ転がっており、この近辺では縄文時代早期(紀元前約5,000年頃)から弥生時代にかけての石器や土器などが多数出土しているそうです。

巨石は250個ほど確認できているようなので、数だけなら『唐人駄場遺跡』の圧勝だといえますね。

「亀石」とよばれる丸みを帯びた石や祭壇のような石、定番の陰陽石、鋭利な三角形の石など、加工したとしか思えない形の石も多数あり、縄文時代の人もここをパワースポットだと感じ取り、巨石を信仰の対象(磐座/いわくら)にしていたと考えられます。

『金山巨石群』と『唐人駄場遺跡』の決定的な違いとは!

『金山巨石群』と『唐人駄場遺跡』の共通点は?

  • どこから来たのかわからない巨石が点在している
  • 縄文時代の土器や石器が発掘されている
  • 現代人も「パワースポット」だと感じるほど心地のよい場所である

共通点も多い両遺跡ですが、『唐人駄場遺跡』で縄文人が天体観測していた形跡はなく、天体観測にチャレンジしている現代人もいないようです。

とにかく『唐人駄場遺跡』は巨石の数が多すぎますし、巨石同士も密集しており、天体観測には向かないでしょう。

私は地質学者ではないので、『唐人駄場遺跡』の巨石は人が運んだのか、地震などで転がってきたのか仮説すら立てられませんが、縄文人がこの場所を信仰の対象に選び、岩を「仏さま」のように石器で加工したのではないかと考えています。

Ruby
Ruby
金山巨石群の本丸は『天体観測』です!
響子さん
響子さん
『唐人駄場遺跡』も素晴らしい古代遺跡であり、パワースポットなのには間違いありません

悲しい事件発生!高知県・自然保護課の『ストーンサークル破壊事件』

ここには1977年まで、フランスのカルナックやイギリスのエイブバリーに匹敵するような大規模なストーンサークル(直径150m超級)が存在していたそうですが、高知県の自然保護課が、キャンプ場にするためにすべて撤去したそうです。

これはユネスコの世界遺産第一号が制定される前年の話で、この大規模なストーンサークルがそこまで貴重なものだという認識がなく、単純に「邪魔な大岩」だと考え撤去したのでしょう。『金山巨石群』は大切に守っていきたいですね。

百犬くん
百犬くん
当時の写真も見つからない。責任者出てこい!

大ヒットアニメーション映画『君の名は』に登場する金山巨石群のポスター

岐阜県飛騨地方を舞台にした大ヒットアニメーション映画『君の名は』のワンシーンで、『金山巨石群』のポスターがちらりと登場し話題に。(タバコを吸う女性のうしろ)

この映画で重要な役目をはたしている「宮水神社(架空の神社)の御神体」のモデルが金山の巨石だと一部でささやかれているそうです。

岐阜県下呂市飛騨金山の観光ポスター

こちらのポスターは、飛騨金山の街で私が撮影しました。飛騨金山には見どころがいっぱい。しっとりと落ち着いたとても素敵な街でした。

『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』を持って、現地に向かおう!

そうそうたるメンバーが参加する『金山巨石群』の調査と研究

金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド(小林 由来(よしき)・徳田 紫穂(しほ) 著)

私たちは金山巨石群を訪れてから、『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド(小林 由来(よしき)・徳田 紫穂(しほ) 著)』を入手しました。

これを先に読んでいれば、注目すべきポイントも違っていたことでしょう。近いうちに必ずリベンジしたいと思います。

金山巨石群に行かれる方は、先にガイドブックを読むか、ガイド付きのツアーに参加されることをおすすめします。

『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』は、A4判/72ページ・フルカラー/定価(本体1,200円+税)。送料の実費が発生します。

著者の小林 由来さんが画家、徳田 紫穂さんが写真家ということもあり、イラストを多用したわかりやすい解説と、写真集のような美しい装丁が魅力のガイドブックです。

Ruby
Ruby
この記事でも簡単にご紹介しますが、巨石群のすべてがわかる『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』は必携です!

奈良県の酒船石や益田岩舟の研究で知られる理学博士の斎藤 国治先生(1913~2003)、日本暦学会副会長、日本日時計の会・会長を務められた後藤 晶男先生(1931~2013)が歴代のアドバイザーとして、現在は、古代人の天文学や巨石群の研究者であり理学博士のハリエット・ナツヤマ先生、考古学博士のシュテファン・メーダ先生が『金山巨石群リサーチセンター』のアドバイザーを務められています。

Wikipediaには、2度も「市民団体が~」と記載されていますが、地元住人らによる『縄文人の天体観測で町おこし』といったものではなく、理学博士、天文学者、考古学者らが調査、研究に参加されています。

昔から地元住民にとって「ここ」はどんな場所だったのか?

岩屋神社(妙見神社)

『金山巨石群』は、「岩屋岩蔭遺跡巨石群」、「線刻石のある巨石群」、「東の山巨石群」の3つの巨石群からなります。

「岩屋岩蔭遺跡」は1969(昭和44)年12月15日に、金山町の文化財に指定されるまでは、子どもたちの遊び場だったそうです。その後、1973(昭和48)年6月13日には、岐阜県の文化財に指定されました。

「岩屋岩蔭遺跡」では、縄文時代後期、晩期の石器が発掘されており、2013(平成25)年に初公開されています。

Ruby
Ruby
その石器の中に天体観測に使われていたと思われる道具のようなものもありました!

『岩屋神社(妙見神社)』として人々の信仰を集めていた『岩屋岩蔭遺跡』

現在でも鳥居や祠が残っていますが、昭和47年までは『岩屋神社』として人々の信仰を集めていたそうです。巨石がご神体の神社によくある名前ですね。

現在『岩屋神社』は、祖師野八幡宮(そしのはちまんぐう)に合祀され、ここは飛地境内になっています。

江戸時代以前は『妙見神社』とよばれていたそうですが、妙見神社といえば、現在でも全国各地にある神社で、ご祭神は『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』ですね。

天之御中主神は「天の中央の神」であるとされ、「北極星」を神格化した妙見菩薩と習合されています。

Ruby
Ruby
ますます「縄文人が天体観測していた場所の跡地に創建された神社」に思えてきました。もしかすると、江戸時代以前の人はご存じだったのかもしれません

3つの楕円形と彫刻と2本の線刻からインスパイア!

謎の巨石群体験ポイント案内図

現地にあった説明看板ですが、シンプル過ぎて少々わかりにくいので、ガイドブックの挿絵をお借りします。

看板に記載された「岩屋岩蔭遺跡」に関する説明は以下の通りです。

岩屋岩蔭遺跡は、巨大な一枚岩が庇のように突き出し奥は洞窟になっています。この付近からは、縄文時代の遺物が数多く出土しています。

この岩蔭には、次のような話が伝わっています。

悪源太義平(あくげんたよしひら/源 義平)が祖師野(そしの)の宮で人身御供の娘の身代わりになり、現れた怪獣(大狒狒/おおひひ)に傷を負わせました。悪源太は、家臣の八坂日向(やさかひゅうが)をはじめ村の若者を引き連れ、逃げる狒狒を岩屋の洞窟に追いつめ退治しました。その時に使った刀「祖師野丸(そしのまる)」を祖師野八幡宮(下流約6㎞)に奉納しました。

その後、昭和47年の岩屋ダム建設に伴い、岩屋神社(妙見神社)は祖師野八幡宮に合祀され、飛地境内になっています。

金山巨石群俯瞰図

金山巨石群には、「A」から「R」と名付けられた11個の巨石があり、観測スポットには①から⑭までの数字が振られています。

観測者は、この巨石の間やくぼみに入って、差し込んでくる太陽の光を観測します。光が入り始める日や、逆に入らなくなる日は、夏至、冬至、春分、秋分や、冬至や夏至の60日後、春分や秋分の30日後など、毎年「(ほぼ)特定の日」になります。

「ほぼ」なのは、1年はきっちり365年ではないからです。

そして縄文時代の人も、4年に1度閏年(うるうどし)を設定し、128年に1度閏年を平年に戻す作業をしていたようで、1年がきっちり365日ではないことまで知っていたようです。

「1年は365日、閏年は4年に1度」では完ぺきな暦とはいえない

岩屋岩蔭遺跡

金山巨石群で天体観測をしていたとみられる縄文人も知っていたという「閏年」。少しややこしいのでここで復習しておきましょう。現在私たちは「グレゴリオ暦法」を採用しています。

通常1年は365日に制定されていますが、実際には365日と5時間48分46秒となります。

とりあえず、5時間48分46秒を約6時間としてみると、4年でほぼ1日(約24時間)分余ってくるので、「2月29日」を1日追加して1年を366日にします(閏年)。

ただ、便宜上6時間としましたが、実際は5時間48分46秒なので、6時間より11分14秒短く、4年ごとに閏年を設け続けた場合、今度は徐々に足りなくなっていきます。そこで、128年目の閏年を平年にすることで調整します。

グレゴリウス暦の計算の方法は以下のとおりです。
西暦年号が4で割り切れる年(4の倍数の年)を閏年とします。ただし、100の倍数の西暦年号に関しては、例外として400の倍数の場合以外は平年となります。

  • 西暦1700年 1800年 1900年 2100年は平年→400で割り切れない
  • 西暦2000年は閏年→400できれいに割り切れる

金山暦の1年は365日と5時間48分44秒。グレゴリオ暦法とは2秒しか誤差がありません。「偶然」2月29日を閏年と定め、128年間に1日省いています。

現代人にも非常に馴染みやすい金山暦

金山歴『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』より引用

金山巨石群で天体観測をしていた縄文人は、1年を8つのブロックに分けていたと考えられます。

2月19日、3月21日(春分)、4月22日、6月21日(夏至)、8月20日、9月23日(秋分)、10月23日、12月22日(冬至)にポイント置き、「(ある2つの巨石の隙間から陽光が入りだしたら)今日は〇月〇日頃だ」とか「(ある2つの巨石の隙間の石に光が当たりだしたら)今日は△月△日頃だ」、「丸1日ずれてきたぞ、今回は2月に29日を加えよう」という風に、オリジナルの天体観測をおこない「暦」をしっかり意識していたようなのです。

Ruby
Ruby
なぜそんなことがわかるの?
佐々木先生
佐々木先生
現代の研究者たちが実際にやってみると同じ結果になったからだよ。
巨石「B」

私たちが金山巨石群を訪れたのは12月12日。

ガイドブックには、BとB’の巨石の間に日が沈むのは、冬至(12月22日)を挟んで120日間とあります。つまりここに日が沈むのは、10月23日頃から2月20日頃の間だけ。

ここから「日の入り」が見られなくなったら、縄文人たちは「そろそろ春も近い」と感じていたのでしょうね。「偶然」にしては出来過ぎていますね。

Ruby
Ruby
これが今回のベストショットです!

3つの楕円形と彫刻と2本の線刻からインスパイア!

巨石「A」と「C」

「3つの楕円形と彫刻と2本の線刻」があるのはAの巨石。残念ながら良い写真が撮れなかった(要リベンジ!)ので、『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』の表紙をご覧ください。

金山巨石群リサーチセンターの代表で画家の小林 由来さんが、線を主体にした『記号表現』の創作を試みていた時、1997年に偶然見つけたのが、この不思議な痕跡。

これを『記号表現』だと考えた小林さんは、その「意味や機能性」を探ってみることにしました。

そこでその痕跡のある巨石の下の土を取り除いてみたところ、洞窟のような謎の空間が現れたそうです。

『楕円の痕跡』はスポット光の形や大きさを表現?!

スポット光の説明矢印

小林さんはその空間に太陽の光(スポット光)が差し込んでくることに気付き、その形をスケッチブックに写し取りはさみで切り抜いて、例の楕円形の痕跡に当ててみました。

すると、一番大きな痕跡と夏至の頃(11時40分)の形がぴったり一致!スポット光が最大サイズになるのは夏至の頃です。

Ruby
Ruby
ガラスの靴がシンデレラの足にぴったり合った時のように感動的な瞬間ですね!この空間はまさに、「夏至の日」を調べるためのものだったんですね!
向日葵さん
向日葵さん
岩に刻まれた楕円形の痕跡は大中小3つあります。最初は小さかったスポット光が、夏至の頃最大になり、ふたたび小さくなっていく様子を表現したものだと考えられますね

2本の線刻と平行に彫られた深い溝からも陽光が差し込む

3つの楕円の痕跡とともに刻まれているのが「2本の線刻」。実はこの線刻に平行して深さ50cm、長さ5mの人為的な溝があります。

この溝にも夏至の頃の午後3時ごろに光が差し込んできます。

市民団体が「線刻」と主張する痕跡も、マグマが固結する際に形成された「柱状節理」によるものとみるべきである。(Wikipedia)

このような記載がありましたが、これを自然現象だと考える方が逆にミステリーのような気がします。宇宙人の関与が疑われますね。

向日葵さん
向日葵さん
未来人の私たちに、自分たちがここで「天体観測」をしていたことを、教えようとしてくれたのかもね
Ruby
Ruby
ガイドブックには「2本の刻線は、象徴として刻まれた」とあったけれど、もしかして「人為的な失敗の跡」だったりして?

『岩屋岩蔭遺跡巨石群』にも謎がいっぱい!

巨石「E」「F」「G」

冬の約120日間は『F』の内側全体に陽光が差し込む

今度は、昔から信仰の対象となっていた『岩屋岩蔭遺跡巨石群』の方です。こちらは「G」「E」「F」の3つの巨石で構成されます。

昔の人が思わず拝みたくなるのもわかるほど、神々しい巨石たちです。この高さ約10mの巨石を誰がどのような方法で運んできたのでしょうか?地震で動くような大きさではありません。

中央のFの巨石は傾斜角40°。傾斜面に光が当たるのが、冬至(12月22日)を中心とした冬の約120日間(10月23日頃から2月20日頃)だなのです。この120日間は「F」の内部全体に光が差し込みます。

夏の約120日間はメスのコウモリたちのサマーキャンプに!

逆に夏至(6月21日)を中心とした夏の約120日間(4月22日から8月20日頃)は、傾斜面に光は差し込みません。

毎年この時期は、メスのキクガシラコウモリたちがやってきて、ここで出産・子育てをするそうです。傾斜面に光が差し込むころには、コウモリの赤ちゃんたちも自分で飛べるようになっています。

北極星や北斗七星も観測!

巨石「J」

縄文人は「J」の石で、北極星や北斗七星の観測をしていたと考えられているそうです。

「J」の石の傾斜は35°。この石の真北(「E」の石の方角)には、こぐま座のα星(ポラリス)があります。

「J」の石からレーザービームを照射した実験では、現在の北極星であるポラリスに当たりました。ただし、BC2000年ごろの北極星は、りゅう座のα星(トゥバン)だった可能性があるそうです。α星とは、ひとつの星座の中で一番明るい星のことをいいます。

さらにEの石には、9つのカップマーク(盃状穴(はいじょうけつ)/深さ約5cm×直径約6cm)があり、そのうちの7つを線で結ぶと、上下が反転した北斗七星になるそうです。

盃状穴は、磐座(いわくら)に彫られることが多く、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされています。

ミルクちゃん
ミルクちゃん
こりゃまた残念な角度から写真を撮ったわね

江戸時代以前にここにあった神社は『妙見神社』で、北極星を神格化した妙見菩薩と習合した天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をお祀りしていました。なんだかここにはとんでもない秘密が隠されていそうです。

スポット光のズレから閏年を考え出した縄文人

イメージ写真イメージ写真

前述したとおり、1年は365日ではなく、365日と5時間48分46秒です。そのためずっと1年が365日のままだと、時間がどんどん余っていき、逆に4年に1度閏年を作り続けると、今度は足りなくなってしまいます。

このようなことは、現代人の私たちでもあまり考えないことですが、金山の縄文人たちは、よくご存じでした。

夏場はコウモリのサマーキャンプとなる巨石「F」ですが、「F」の内側を掘り起こすと3つの石が登場しました。

このうちのひとつ(測定石b)の先端にスポット光が当たるのは、毎年、10月14日頃と2月28日頃の2回のみ。季節は違いますが、太陽の高度がほとんど同じなので、光の当たる場所もだいたい同じなのです。

ここのスポット光は春分秋分の頃は、毎日約4cmずつ移動していくのですが、毎年観測していると、1年ごとに約1cmのずれが生じ、4年で1日の移動(約4cm)とほぼ同じになります。

ここで閏年のプラス1日が必要なのですが、これを4年ごとに続けていくと、今度は128年で4cmのズレが発生し(1日先に進んでしまう)ますので、このときに1日省けば(平年に戻せば)、128周期のカレンダーが完成します。

Ruby
Ruby
光のズレを測っていたと考えられる物差しのような謎の石器や、スポット光と同フォルム、同サイズの石器も発見されています

ここでご紹介できたのは、ほんの一部です。ぜひ、『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド(小林 由来・徳田 紫穂著)』を持って、現地で巨石の大きさを体感してみてください。

太陽カレンダーシュミレータ『再現館』は休憩もできる

太陽カレンダーシュミレータ『再現館』

地元の間伐材を利用して作った『太陽カレンダーシュミレータ「再現館」』では、「F」の巨石と同じ条件で天体観測ができます。

つまり「再現館」には、冬至(12月22日)を中心とした冬の約120日間(10月23日から2月20日頃)に陽光が差し込みます。

現地の説明看板一挙ご紹介!

各巨石のそばには、簡単な説明がありました。撮影してきましたので、ご紹介しておきますね。写真だけでは読みにくいと思いますので、テキストで要約します。

観測ポイント④のみ、撮り忘れてしまいましたので、『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド(小林由来・徳田紫穂著)』を引用させていただきました。

観測ポイント①『J』の石から観測できる北極星と北斗七星

観測ポイント①

「J」石の南側面は北へ向かい約35度の傾きをもっており、この線上に「北極星」があります。同時に見える北斗七星の位置により、季節を知ることが可能だったと考えられます。

ここで縄文人が天体観測をしていたのはBC1000~500年頃と推定され、その頃の北極星は、こぐま座のβ星(コカブ)だったと考えられています。※ガイドブックにはりゅう座のα星(トゥバン)だと記載。※β星とは、ひとつの星座のなかで2番目に明るい星のこと。

現在の「北極星」はこぐま座のポラリスですが、「北極星」は、地球の歳差(さいさ)運動の影響で、周期的に変わっていくそうです。

観測ポイント②「楕円」と「線刻」のある『A』の石から夏至の頃の観測ができる

観測ポイント②
「A」は、3つの「楕円」と2本の「線刻」のある巨石で、夏至(6月21日)の頃の太陽観測が可能です。

11:40、太陽の軌跡が1年でもっとも北寄りになり、もっとも高度が高くなります。洞窟状の内部に差し込むスポット光のサイズと形が、石に刻まれた一番大きな楕円と一致します。

15:40、2本の線刻とほぼ平行に走っている溝に、太陽の光が差し込みます。

観測ポイント③痕跡下の洞窟状の内部からは、夏至の頃の観測ができる

観測ポイント③
痕跡下の洞窟状の内部には、「三角状の石面」と「石板」があります。

前者は夏至の30日前(後)に点線状のスポット光が現れ、後者は夏至の60日前(後)に太陽光が石板の中央を照らします。(説明の写真参照)

夏至(6月21日)の頃、痕跡の前から、山から昇る太陽(朝の6時頃)と山へと沈む太陽(夕方の17時30分頃)が観測できます。

観測ポイント④『A』石の洞窟奥まで差し込む夏至の陽光

観測ポイント④

夏至(6月21日)頃の早朝、「B」と「C」の間から、「A」の洞窟の奥まで、太陽の光が差し込みます。洞窟内を照らす期間は、夏の120日間のみです。

観測ポイント⑤『A』の側面に設置されたふたつの石の間から『C』を観察

観測ポイント⑤

「A」の側面に設置されたふたつの石の間に座り正面を向くと、「C」の石が目の前にあります。

夏至の頃は、「C」石のちょうど真ん中から太陽が昇り、春分と秋分の頃は、向かって右の角から太陽が昇ります。

また「C」石の隙間に入って寝転がると、春分と秋分の頃の「昇る太陽」が観測できます。

観測ポイント⑥『B』と『C』の間から、『A』の下の空間を観察する

観測ポイント⑥
「B」と「C」の間から、「A(線刻石)」の下にある空洞を観察していると、夏至をはさんだ約120日間、山から昇った太陽光が空洞に差し込むのがわかります。

夏至(6月21日頃)の約60日後(8月20日頃)に、「C」石の影が「A」石の空間を覆い隠し、空間に光が差し込まなくなります。そしてこれは夏至の約60日前(4月22日頃)まで続きます。

観測ポイント⑦⑬⑭『東の山巨石群』では、冬の朝の天体観測ができる

観測ポイント⑦

観測ポイント⑦は、「東の山巨石群」が見える位置です。「R」と「S」は、山の頂上にあります。

「東の山巨石群」の「R」石の角に座ると、1年のうちでもっとも南寄りで昇る冬至の頃の太陽を観測することができます。

冬至の約60日前(10月23日頃)の山から昇る太陽の高度は、「S」石の傾斜角度と同じ約35度。この頃、太陽光は「S」石に沿って差し込みます。

その後、太陽の高度が低くなり、「S」石には光が差し込まなくなります。そして、冬至の約60日後(2月20日頃)になれば、太陽の高度が高くなり、ふたたび、太陽光が「S」石に沿って差し込みます。

観測ポイント⑧『B』と『B’』は冬の日の入りの観測ができる

観測ポイント⑧

「B」と「B’」の巨石の間には、冬至(12月22日)を挟んで120日間(10月23日頃から2月20日頃)、山へと沈む直前の太陽光が観察できます。

観測ポイント⑨『D』石の側面は、夏至の日没後に整列する北斗七星をとらえる

観測ポイント⑨

「A」石(楕円の痕跡と線刻)の前に立ち、「A’」石の面に沿って北の空を見上げると、「D」石の上に北極星が観測できます。

BC500年頃は、夏至の深夜、「D」石の溝から、こと座のα星「ベガ」とはくちょう座のα星「デネブ」が観測できたと考えられています。

観測ポイント⑩『E』と『F』の狭い隙間に春分、秋分頃の山に沈む直前の太陽光が差し込む

観測ポイント⑩

「E」石と「F」石の隙間はわずか30cm×10cm。そんな狭い隙間に、春分(3月21日頃)と秋分(9月23日頃)の山へと沈む直前の太陽光が差し込みます。

観測ポイント⑪『F』石の側面に沿って北の空を見上げると北極星が観測できる

観測ポイント⑪

BC500年頃、冬至の夜明け前、「F」石の側面に沿って北の空を見上げると、北斗七星全体が観察できたそうです。

飛騨金山はとても空気が綺麗な街でした。おそらく縄文時代とさほど変わらない綺麗な星空を見ることができるのではないでしょうか。ただし、少人数では少し怖いとは思いますけど。

観測ポイント⑫『岩屋岩蔭巨石群』は、冬の観測に!

観測ポイント⑫

『「岩屋岩蔭遺跡巨石群」にも謎がいっぱい!』の項でも紹介した観測ポイント⑫。

夏至を挟んだ約120日間(4月22日頃から8月20日頃)は光が差し込まず、キクガシラコウモリのメスがやってきて出産、子育てをします。

夏至の前後は、「線刻石のある巨石群」のみスポット光が差し込み、「岩屋岩蔭遺跡巨石群」には差し込みません。

その代わり、冬至を挟んだ約120日間(10月23日頃から2月20日頃)、①山から昇る太陽の光が「E」石の面に沿って、②山へと沈む太陽の光が「G」石の面に沿って、③12時ごろには、南下する太陽の光が「F」石の傾斜に沿って、それぞれ差し込んできます。

春分と秋分の頃、岩屋岩蔭遺跡巨石群の内部にスポット光が差し込みます。

その光が測定石のb石の先端(「平年」は10月14日と2月28日、「閏年」は10月15日と2月28日)へ差し込むときの形や位置で、1年約365日の周期を知ることができ、閏年(4年周期)も読み取ることができます。(スポット光は1年に4cm移動)

純太くん
純太くん
10月14日に光が差し込めば「平年」で、差し込まなければ「閏年」なんだね。とても簡単だ!

金山巨石群(&リサーチセンター)へのアクセス

金山巨石群(リサーチセンター)へのアクセス

『金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡巨石群と線刻石のある巨石群)』は、JR飛騨金山駅、下呂駅からそれぞれ車で20数分の場所にあります。レンタカーを借りるかツアーに参加しましょう。

バスを利用の場合は、「八坂(はっさか)」という停留所で降りて、2~3kmほど歩くことになります。ただし、バスの本数が2時間に1本程度しかないので、とくに帰りは要注意です。詳しくは、金山巨石リサーチセンターさんの公式サイトをご参照ください。

長さ約9mの2つの巨石からなる『東の山巨石群』は、『岩屋岩蔭遺跡巨石群』と『線刻石のある巨石群』の真東、40分ほど登山した場所にあります。

見晴らしの良い『東の山巨石群』は、山に囲まれた場所では観測できない「冬の朝」の観測値として選ばれた可能性があるとされています。※個人で行くのは難しいため、ツアーに参加しましょう。

金山巨石群リサーチセンターでは、巨石群観光に飛騨街道金山宿の『筋骨めぐり』や飛騨牛のランチを組み合わせた『光の体験ツアー』も募集しています。

ツアー開催日は太陽観察のしやすい毎日20日前後となっています。

名称金山巨石群リサーチセンター
住所岐阜県下呂市金山町金山2142-4(巨石群からは離れています)
電話番号0576-20-4118
開館時間9:00~17:00
定休日不定休(要連絡)
公式サイトhttp://www.seiryu.ne.jp/~kankou-kanayama/kyoseki/index2.html
ツアー申込サイトhttp://hidakanayama.com/tour_hikari.html
金山巨石群

私も金山巨石群リサーチセンターの方々と同様、『金山巨石群』は縄文人の天文観測場であり、彼らもグレゴリオ暦法とほぼ同じ精度の暦を作り、日々の生活に役立てていたのではないかと考えています。

南飛騨の山奥で巨石の「線刻らしきもの」を見つけたことから、ここまで体系的に調査結果をまとめられた小林 由来さん、1997年から調査リポートの撮影、作図、イラストレーション、編集にと尽力されてきた徳田 紫穂さんの努力と情熱には感激しました。

まだまだ研究の余地がある遺跡ですし、今後、ユネスコの世界文化遺産に認定されても不思議ではないと思っています。