今回は、わたしの友人で、日本でただ一人の「エコ作家」、新藤 洋一さんの新著『新新 貧乏物語』をご紹介させていただきます。
この本を読むことで、ほとんどの人が深く考えたことのない「お金のしくみ」が理解できます。
さらに「お金の呪縛」から解き放たれることで、心に余裕ができ、少ない所得でもリッチな気分で暮らしていけるようになります。
『エコ作家』って、いったいどんな作家?
みなさん、「エコ作家」と聞いて、どんな作家を想像しますか? おそらく「節約術や環境問題に関する本を書いている作家さん」のことを想像するのではないでしょうか?
もちろん、そう答えた人も「ハズレ」というわけではありません。でも、それだけではありません。
新藤さんの職業である「エコ作家」には、「移動書斎で発電しながら執筆活動をする作家」という意味も含まれているのです。そうです! 「移動書斎」というのは、新藤さんの愛車のことなのです。
だから、暑い夏は日陰に、寒い冬は陽あたりの良い場所へと、書斎ごと楽に移動できるのです。そういった面でも、とても「エコな作家さん」だといえますね。
さらに、この車、太陽光発電のパネルを付けていますので、万一の災害時にも大活躍します。自治体こそ、このような車を所有するべきだと、新藤さんは考えています。
新藤 洋一著『新新 貧乏物語』って、どんな本?
『新新 貧乏物語』は、今から100年以上も前の1916(大正5)年、大阪朝日新聞に連載され、のちにベストセラーになった河上 肇著『貧乏物語』の紹介から始まります。
京都で大学の教授をしていた河上は、自分の衣食住に関するほとんどすべてのものを、一度も会ったことがない誰かが作ってくれていることに感謝し、「考えてみると、私は私の一生を送るうちに、否きょうの一日ひとひを暮らすにつけても、見も知らぬ大勢の人々から実に容易ならざるお世話をこうむっているのである」と述べています。
河上はまた、貧乏の定義を「労働を支えるために必要な食糧を満たすだけの収入がない」とし、そういった人たちを「貧乏人」としました。
時代はまさに「大正バブル」。毎年、所得は上がっていきましたが、それ以上に物価が上がり、河上のような都市生活者たちの間には、現在と同様に、深刻な格差が生じていたそうです。
でもそれは、お金に100%依存し生活していた都市生活者の問題であり、基本的に自給自足と物々交換で生計を立てていた100年前の農村の人たちには、ほとんど無関係であったようです。
ただし現在は、都市部でも地方でも、国民のほぼすべてがお金に縛られる生活をし、政府の失政による経済の疲弊は「国民全員」を苦しめます。
新藤さんの『新新 貧乏物語』は、そんなわたしたち現在人に、「お金の奴隷にならない生き方」を提案してくれます。
もちろん誰もが、新藤さんと同じことができるわけはありません。ただ、都会に住んでいる人でも、『新新 貧乏生活』のノウハウを部分的に取り入れることは可能ですし、この先ますます経済が悪化し、いよいよ都会での生活が立ち行かなくなったときの、「心のお守り」にもなります。
『新新 貧乏生活』を読んで得られるものは、不景気を味方につけ、貧乏をめいっぱい楽しめる「マインド」であり、「心の余裕」です。
そしてこの「心の余裕」を持っていることが、あらゆる場所に転がっている「幸せ」や「チャンス」を見つけられる人の条件だと思います。
新藤 洋一著『新新 貧乏物語』・新藤 洋一の原点
『新新 貧乏生活』・新藤 洋一の原点①10年間勤めた会社を辞めて金沢へ!
新藤さんは、10年間勤めた会社を辞めて金沢に向かうのですが、ここで、有機農業と自然食料理を学ぶことになります。
そしてなによりこの金沢で、新藤さんのかけがえのないパートナーであり、幸運の女神さまである奥さんと運命の出会いを果たすことになります。
『新新 貧乏生活』・新藤 洋一の原点②『自然エネルギー学校』へ
新藤さんのライフワークは「食」と「エネルギー」。群馬に戻った新藤さんは、埼玉県小川町で月1回開催されていた「自然エネルギー学校」に1年間通い、自給生活のノウハウを得ます。
とくに、学校で実習した生ゴミや家畜の糞などの有機物でガスを発生させる「バイオガスプラント」は、さっそく自宅でもレンガで作り、補助的なコンロとして利用し、さらに副産物として、十分な量の液体肥料まで得たそうです。
新藤 洋一著『新新 貧乏物語』・心の芯からあたたまるラーメンを提供する「自給屋」
1998年に結婚、2000年には長男誕生、そして、同年『作農料理人の店・自給屋(2008年~『地鶏ラーメン自給屋』)』がオープンします。
そして、2005年までの間に次男と三男が誕生しました。育ち盛りの兄弟3人となると、とても食費がかかりますね。
もちろん、わたしたち日本人全員にいえることですが、景気はどんどん下り坂、庶民の所得は減り、一部の富裕層をのぞき、日本人全般の生活が苦しくなっていきました。
けれど新藤家は、そのたびごとに知恵を絞って、さらに家族が生活を楽しめる工夫を見つけてきました。
そして新藤さんは言います。「不況で暇になったからこそ豊かな食卓が実現した」「貧乏になったからこそ実現したことがある」…これはいったい、どういうことなのでしょうか?
『新新 貧乏物語』には、目から鱗の絶対に失敗しない『新藤流・賢い投資術』が全公開されています。ぜひ本を読んでみてください。
新藤 洋一著『新新 貧乏物語』・まさかの自給屋閉店!新藤さん、奥さんのヒモになる????
新しい出会い、そして、大切な人たちとの別れ
世の中の多くのお店と同様、新藤さんのお店も、長引く不況の影響をもろに受けていました。
そこで、ご主人の新藤さんはラーメン屋さんを続け、教員免許のある奥さんが、新卒後1年間ほど経験した小学校の教諭に復職することになります。
復職早々奥さんが任されたのは、いわゆる「崩壊学級」。新人教師同然の奥さんは、誰も考えつかないような「塩」を使った秘策で、クラスをまとめました。さて、その方法とは?
その後、新藤さんは、ある講演会に参加し、その講演会を企画した常にお金儲けより自分のやりたいことを優先して生きてきた超パワフルな男性(忙しそうだが貧乏)と出会い、自給屋を閉めて次のステージへと進む決心をします。
その後、新藤さんが料理の道に進むきっかけとなった男性「あんちゃん」や、お母さんとの悲しい別れがありました。
世の中のヒモ男どもよ!!よく聞け!これが「超ヒモ理論」である!
ジゴロ(仏: gigolo)とは、女から金を得て生きている男(女から金を巻き上げて生活する男、女にたかって生活する男、女から巧みに援助を得る男など)のことをいう。ヒモ、男妾、つばめ、スケコマシなどが類義語に当たる。(wikipediaより)
今や「専業主夫」という言葉も市民権を得ていますので、男性女性どちらが「現金収入を得る仕事」をしても良い時代です。
年中無休の専業主婦の仕事をお給料に換算すれば、年収470万とも900万だともいわれています。もちろん、専業主夫だって同じでしょう。
しかも、「一流の料理人 兼 エコ作家 兼 大工さん」でもある新藤さんは、スーパー専業主夫であり、超ヒモ夫だといえます。(※ 「超弦理論(ちょうげんりろん)・超ヒモ理論」は、物理学の理論、仮説の1つ。以下よくわからないので省略)
そういえば、大ヒットホラー小説、「リング」や「らせん」の作者・鈴木 光司さんも専業主夫でしたよね。
新藤 洋一著『新新 貧乏物語』・管理人・Rubyのおすすめ
『新新 貧乏物語』には、家族の楽しいエピソードがいっぱい。そのなかでも管理人・Rubyのおすすめのエピソードを少しだけご紹介します。
倒木がすべて有効活用されたのは言うまでもありません。
業者が切った倒木を荒れ地に放置していたために、つる草が茂り、ジャングル状態になりました。そこで、新藤さんはヤギを2頭購入しました。なぜヤギを? もちろんその後、「バトルスピリッツ」というカードゲームにはまり、大会で大人とバトルまでするようになった長男くん。突然「あること」に気づき、カードをすべて処分してしまいました。その「あること」とは?
ケルト音楽で類まれな才能を開花させた弱冠17歳の長男くん。単身、アイルランドに渡るも、お父さんがクレジットカードで前払いしていたはずのホテル代が、実はされていなかった! ホテルに現金でのデポジットを要求されるも、お金が足りずに払えません…新藤家危機一髪!
ほかにもハラハラ、ドキドキ、ニッコリのエピソードがたくさん紹介されています。
今回は、新藤 洋一著『新新 貧乏物語』をご紹介しました。この本は、少しとっつきにくいお金に関する話と、お金に支配されることなく毎日の生活を楽しむ新藤家のエピソードが楽しくわかりやすく紹介されています。
新藤さんがなぜ、「お金の呪縛」から解放されたのかといえば、勉強して「お金のしくみ」を十分理解されたからだと思われます。
お金が得体のしれないものではないとわかると、彼らとの付き合い方も変わってきます。この本は、「自分とお金との関係」を、見つめなおすきっかけを与えてくれる名著だといえます。