今回は、岐阜県下呂市の『縄文公園(峰一合遺跡)』『下呂ふるさと歴史記念館』と昭和の街並みを楽しめる『飛騨金山筋骨めぐり』をご紹介します。
下呂といえば「下呂温泉」が有名ですが、考古学を学べたり、昭和の街並みを散策できたりと、魅力的なスポットが盛りだくさんの魅力あふれる街です。温泉だけではもったいないですよ。
※ 2020年12月12日(土)と13日(日)に、3人グループで行ってきました。
縄文公園(峰一合遺跡/みねいちごいせき)では、縄文時代と弥生時代の住居を再現
『縄文公園』には、約5800年前の縄文時代前期と約1800年前の弥生時代後期の「竪穴式住居」のリアルなレプリカがあり、中にも入れます。大人も子どもも楽しめる歴史体験スポットです。
ここは「峰一合遺跡(みねいちごいせき)」とよばれ、出土した石器や土器は、縄文公園の一角にある『下呂ふるさと歴史記念館』に展示されています。
峰一合遺跡の発掘調査は、昭和41年から46年まで続き、その後『縄文公園』として整備されました。
峰一合遺跡は、全国でも珍しい「パン状炭化物」が出土したことで知られ、下呂石を利用した石器が多いのも特徴です。
「縄文時代前期」と「弥生時代後期」の竪穴式住居の復元と実際の住居址あり
縄文時代前期の住居の復元。2〜3名用テントくらいのサイズです。中には入れませんでしたが、かなり閉塞感がありそうです。
こちらも縄文時代前期の住居の復元。自由に中へ入れます。
内部はそれなりに広く、火を焚いていたとみられる石組も見られました。大家族で住めて「悪くはない」という感じ。
側面も結構立派です。これが白川郷の「茅葺き屋根」のルーツなのでしょうか?
後ろから撮影したもの。全体に緑の苔が生えていて結構リアル。
弥生時代後期の竪穴式住居の復元には「ハチにご注意ください」の注意書きがありました。当時の人々もヘビや虫にはご苦労されていたと考えられます。
復元ではなく、実際の竪穴式住居の名残りを見ることもできます。住居跡の規模は直径約5.4m、大小十数個の「柱穴」と中央部には「炉址(炉の跡)」が確認できます。
『竪穴式住居址保存館』は、ガラス越しに遺跡を見学できます。
私たちが訪れた時はガラスが汚れていて綺麗に撮影できませんでしたが、柱跡と中央部に炉址の石組が確認できました。
『縄文公園』は、晴れた日のお散歩におすすめしたい気持ちの良い癒しスポット。ただ『縄文公園』は、雪が積もると散策することがほぼ不可能になるそうなので旅行者は要注意です。
私たちの旅行は12月12日でしたが、その数日後に「岐阜に大雪が降った」というニュースを聞きました。とてもラッキーでした。
『下呂ふるさと歴史記念館』下呂にまつわる「石器時代」から「現在」の歴史資料を展示
『下呂ふるさと歴史記念館』は、峰一合遺跡からの出土品と研究成果を公開する機関として、1972年5月1日に「中部山岳考古館」という名前でオープンしたそうです。
1995年に「下呂ふるさと歴史記念館」という名前に変わり、来年2022年の5月には開館50周年を迎える施設です。2012年にリニューアル工事をしていますので、老朽化はしていません。
館内は広く近代的。嬉しいことに入館無料で、駐車場料金も無料です。
建物は2階建てで、第1から第4号展示室に分かれています。
- 第一展示室(下呂石の原産地、旧石器時代の遺跡『大林遺跡』、縄文時代の集落遺跡『峰一合遺跡』、弥生時代の『上ヶ平遺跡』の出土品、奈良、平安時代の食器など)
- 第二展示室(室町時代の山林寺院『大威徳寺院跡』、戦国飛騨の雄、三木氏の本拠地『桜洞城跡』の出土品など)
- 第三展示室(江戸時代の村の様子や加藤素毛(そもう)、細江静男など、地元の偉人の資料)
- 第四展示室(明治維新期の動乱『梅村騒動』に関する資料、太平洋戦争当時の資料)
お子さんが楽しむシールや埴輪や勾玉をモチーフにしたストラップなど、来館者の記念になるお土産も販売しています。
子どもはもちろん、大人も童心に返れる楽しい縄文体験
土日や春休み、夏休みは、勾玉や土器、土偶を作る体験ができます。予約制でなく当日受付ですが、休館日が変則的(月曜日は必ず休館)なので、あらかじめ電話(0576-25-4174)で問い合わせておいたほうが無難だと思います。
①「勾玉」はストラップまたはネックレスにすることができ、②と③の所要時間と料金の差は、粘土の量によるものです。
土器(土偶)は、自宅に持ち帰りオーブンで焼くことになりますので、オーブンがない方は、古代アクセサリー(勾玉)製作がおすすめ。※ 私たちは勾玉を作っていませんので、もしかするとご自宅での作業があるかもしれません、ご確認ください。
私たちは、60分で680円の『縄文土製品製作』を体験しました。
製作しているのは、一応『いのしし』。右の写真では左下のものです。ちなみにこの5体は2人分の粘土で作ったものになります。
館内のクリスマス展示品。これはもちろん現在の作品ですが、館内には貴重な歴史資料が大量に展示されています。すべて写真撮影が可能でした。おまけに入館料は無料。
下呂ふるさと歴史記念館の貴重な展示品の数々
岐阜県下呂市萩原町にある『筒井平遺跡』から出土した銅鐸の復元品や同時代の甕(かめ)。甕は部分的に実物を使った復元品です。
『上ヶ平遺跡』から出土した「灰釉陶器(かいゆうとうき)」。9~11世紀の奈良、平安時代のもの。
「灰釉陶器」とは、素地に草木の灰を主な成分とする上薬をかけ、その表面にガラスの被膜を焼き付ける製法で作られた器のこと。
下呂市萩原町の「桜洞城(さくらぼらじょう)跡」から出土した青磁器(欠片を使った復元品)。室町時代から戦国時代にかけて、中国大陸から入ってきた「唐物(からもの)」です。
当時は「高級な茶器を使用できる」ことが、権力の大きさの証だったそうです。
満州から萩原町宮田の今井家に送られてきた軍事郵便。すべて検閲されていました。すでに印刷の葉書があるのが驚きですね。下呂市の今井 武さんという方から寄贈された貴重な資料です。
こちらも今井 武さんから寄贈された資料。「戦力増強」「決戦貯蓄」「三百三十億貯蓄で奉公」「ぜいたくは敵だ」「一銭貯金で兵器のけんのう」。
今では映画かドラマでしか見かけないスローガンですが、十代前半の子どもが書いた実物を見ると結構衝撃的ですね。
左は、国税調査の広告。「銃後」とは、戦時下での「銃のうしろ」。つまり、直接の戦場ではない「後方」の意味だそうです。戦時下では、女性や子どもにもさまざまな協力や我慢を強いていたようです。
中央は「少年愛国法典」という満州事変直後に発刊された冊子。天皇や国家に関すること、武士道といった内容が掲載されているそうです。
右は、銃を構える少年や負傷兵を助ける少女の写真が掲載された冊子。満州の移民団に配布されたもののようです。子どもも重要な戦力だと考えられていたみたいですね。
働こうね
そよ風 そよ風 春の風 空には 白い 雲が 飛ぶ 来たんだ 来たんだ 北支那に
楽しい 春が やってきた
働こうね お父さん 日本の お友達に 負けぬよう
力 いっぱい 働いて 住みよい お国を 作りましょう
竹原中学校3年生の切り絵を使ったかるた。2005年と比較的最近の作品。非常にグレードが高く、もし販売されていたら購入したいくらいです。戦時中の資料とは違い心が和みます。
- か:鎌倉の 時代伝えし 大威徳寺跡
- か:鎌倉の 時代と語る 石畳
- し:枝垂れ栗 花咲き誇る 初矢の里
- む:村芝居 歴史つないで 鳳凰座
- ほ:ほうば寿し 母から届いた 初夏の味
- ふ:ふるさとの 味を届ける 竹原とまと
詠み句にはかならず地元の名所や名産品が盛り込まれているようですが、「か」の札が2枚あり、しかも途中までは同じなので、よく聞いて絵まで合わせなければならなず、なかなか難易度高めのかるたです。
名称 | 下呂ふるさと歴史記念館(縄文公園内) |
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住所 | 岐阜県下呂市森1808番地37 |
電話/ファックス | 0576-25-4174 |
開館時間 | 9:00~17:00(最終16:30)※12月~2月は30分早い |
縄文体験「受付」時間 | 9:30~11:00・13:30~15:00 |
入館料/駐車料金 | どちらも無料 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌平日)・年末年始・臨時休館あり(要確認) |
交通アクセス | JR下呂駅から車で約7分/徒歩40分/濃飛バス合掌村線「交流会館下車」徒歩10分(片道100円) |
関連サイト | https://www.city.gero.lg.jp/soshiki/28/1979.html |
とにかく街歩きが楽しい飛騨金山
「下呂ふるさと歴史記念館」の後、レンタカーで、「金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡巨石群と線刻石のある巨石群)」に行きました。
翌2020年12月13日(日)は、飛騨金山駅からスタートです。途中、夜景が入りますが、前日、金山巨石群の帰りに撮影したものです。
わりと大きな無人駅「飛騨金山駅」
『飛騨金山駅』は、JR東海・高山本線にある駅で、特急「(ワイドビュー)ひだ」の一部が停車するそうです。上り下りとも1日に1本ずつとなりますが、「ひだ」を利用すれば大阪駅や京都駅からも乗り換えなしで来られます。
飛騨金山駅は、1日に平均200人弱が利用する基本的には無人駅。
『飛騨金山駅』は、飛騨路と美濃路の中間に位置しているそうです。切符回収用のボックスがあるということは、やっぱり無人駅なんですよね。
飛騨金山のおすすめ観光スポット『金山巨石群』や『筋骨めぐり』の拠点となる駅なのですが、1995年ごろには450人程度の利用があったようで、年々減少しているのが気になるところです。
電車は1時間に約1本。駅構内に『飛騨金山観光案内所』があるのですが、この日はお留守のようで、用事がある場合は電話をするようにと書いてありました。
電話をしたみたところ、すぐに折り返しのご連絡が入り、親切に対応をしていただき大変助かりました。自由に持ち帰れる観光パンフレットなどは揃っていました。
駅前に喫茶店やお土産物屋さんはありませんでしたが、ジュースの自動販売機があります。1時間に1本の電車に乗り遅れると困りますが、駅界隈を散策するだけで結構楽しいですよ。
金山町は『ギフチョウ』と『加藤素毛』の街
金山町は『ギフチョウ』発見の地
「ギフチョウ」とは、1883(明治16)年4月24日、岐阜県郡上郡祖師野村(現下呂市金山町祖師野)で初めて採集された「春の女神」とよばれている美しい蝶のこと。
「ギフチョウ」は、多数の自治体で天然記念物に指定され、国際自然保護連合(IUCN)により、レッドリストの準絶滅危惧(NT)の指定を受けています。
日本で初めて世界一周をはたした郷土の偉人『加藤 素毛』
『下呂ふるさと歴史記念館』でも紹介されていた金山町が生んだ偉人『加藤 素毛(そもう)』。
加藤素毛は幕末から明治時代を生きた下呂市出身の俳人です。1860年、日米修好通商条約批准書交換のための幕府遣米使節団に賄い方として参加しました。その筆まめな性格から見聞のすべてを日記・和歌・俳句・絵画に書き残しており、帰国後には各地で雄弁な帰朝談を披露していました。(漫画で読む加藤素毛より)
素毛(1825~1879)は、日本初の世界一周旅行をはたした俳人であり、冒険家でした。「漫画で読む加藤 素毛」によると、遣米使節団は総勢77人。
当時は幽霊船や海坊主を信じている人が多く、アメリカ行きを断った人も多かった中、素毛は長崎で外国文化に触れた経験があり、「賄い担当」として、自ら志願して入団したとのことです。
素毛は、何から何まで記録せずにはおられない性格だったようで、今なら、1日中スマホを握りしめ、空いた時間はずっとSNSをしているような人物でした。
その性格が功を奏し、彼が記録した日記やスケッチ、詠んだ俳句などが大量にのこり、貴重な歴史資料となっています。
レトロなゲートには『横谷峡四つの滝』『ギフチョウ』『岩屋ダム』
『ギフチョウ』と下呂市金山町の観光スポットが紹介されているゲート。おそらくライトアップされるでしょうから、夜見ると綺麗なのでしょうね。
金山橋から眺める飛騨川と馬瀬川
下呂市金山町のシンボル、エメラルドグリーンの「金山橋」から見る風景。ここは、飛騨川と馬瀬川の合流点です。橋と同じエメラルドグリーンの清流の対比が神秘的。
毎年8月13日この金山橋で、地元に伝わる「黄金姫(こがねひめ)伝説」をテーマにした花火大会が開催されます。終了後に行われる盆踊り大会も盛り上がるそうです。
歩行者用の橋の欄干のデザインになっている「ギフチョウ」と金山町の花「ササユリ」。
黄金姫(こがねひめ)伝説
1093年頃、白河天皇の第一皇女・「媞子内親王(ていしないしんのう)」が仏間に「秘宝の鶏」を安置していました。
この鶏は天竺の名工作の白金の彫刻で、胸のところに経文が封じ込められていました。この鶏の見守り役だったのは、『黄金姫』という美しい女性でした。
この鶏は、元旦になると毎年鳴いていたのですが、都が戦に巻き込まれたある年の元旦に、突然飛び去ってしまいました。
見守り役の小金姫は比叡山へと向かい、観音様に鶏の行方を聞くと、「飛騨と美濃の境の滝のある山にいる」とのお告げがありました。
姫は鳴き声を頼りに「坂梨(横谷峡 四つの滝のある地域)」までたどり着きましたが、姿どころか、その鳴き声すらも消えてしまいました。
そこで小金姫は、滝で身を清め合掌すると、突然白金の鶏が舞い上がり、一声鳴いて滝つぼへと姿を消しました。
「秘宝の鶏」は「清流権限」という滝の主になっていたのです。
「秘宝の鶏」の行方を突き止めた小金姫は、山中で採った「天成草(薬草)」を持ち帰り、長患いの母親にのませたところ、すっかり良くなったということでした。
昭和の時代にタイムスリップ『筋骨めぐり』
「筋骨(きんこつ)」という謎めいた言葉は、昔ながらの細い路地が複雑に交わる様子を、筋や骨が絡み合っている人体にたとえた言葉とのこと。飛騨地方特有の表現なのでしょうか。
この界隈は、飛騨国と美濃国の間に位置し、飛騨街道の宿場町として栄えたそうです。昭和40年代は、岩屋ダムの建設作業員たちで賑わう華やかな場所だったそうです。
筋骨めぐりにはガイドマップかガイドさんが必需で、適当に歩いてしまった私たちは多くの「見どころ」を見逃してしまいましたが、逆にいえば「もう一度行く機会を与えてもらった」ということですね。
ガイドマップは飛騨金山駅や国道41号線沿いにあるドライブイン「飛山」で入手できるそうです。「飛山」からスタートし、「飛山」に戻ってくるのが一番効率よく周れようです。
三階建ての木造建築『清水楼』
左の3階建ての木造建築は『清水楼(せいすいろう)』。「うなぎ」と書いてあることからもわかるように、宿場町として栄えた「金山宿」のころから1990年代まで、うなぎ料理屋として営業していたそうです。
現在の建物は、1875(明治8)年に改築されたもの。現在は一般の住宅なので、内部の見学はできません。
画像に夜景が混ざりますが、前日の『金山巨石群』の帰りに少しだけ散策したためです。
内部も見学できる昭和63年まで営業していた銭湯
こちらの銭湯は1988(昭和63)年まで営業していたそうです。
男湯のみ中を見学できて(知らなかった!!)、当時の料金表(大人100円・中人50円・小人40円・洗髪20円)、番台やロッカーもそのまま残されていました。飛騨街道 金山宿の筋骨めぐり「レトロな銭湯」で詳しくご紹介。
下呂牛乳(下呂コーヒー、下呂フルーツ)は現在、下呂温泉街で楽しめるようです。濃厚で美味しいと大評判。おしゃれなカフェもあります。(GERO GERO ミルクスタンド)
白亜の旅館(?)はモダンでレトロ
なんとなく惹かれるこの建物。おそらく旅館だったと思われます。営業していた当時は、モダンでおしゃれな旅館だったのではないでしょうか。
さすがに夜は、メンテナンスしていない無人の建物特有の怖さがありますね。もちろん、幽霊なんかは出てこないでしょうが、肝試しは絶対に無理です。みなさんもご遠慮くださいね。
実はこの界隈、昭和40年代は、岩屋ダムの作業員でとても賑わっていたそうなんです。キャバレーや飲み屋さんもたくさんあったそうなのですが、現在は想像できないほど静かな街になっています。
岐阜タイル旅・福寿美旅館その二❇️https://t.co/5ZC5RgiYyp pic.twitter.com/m8vsx9Oaab
— mayumama (@ma_yumama) May 22, 2020
2018年夏の水害で被害に合われ、惜しまれつつ閉店された金山町のシンボル的存在「福寿美(ふくずみ)」さんに雰囲気が似ているので、やっぱり旅館なのでしょうね。
「筋骨めぐり」をしているつもりが、メインロードばかり歩いていました。それにしてもひっそりしているな。
『金山巨石群』も『金山の街』も国内外から大勢の観光客が呼べる魅力的なスポットなので、早くコロナがおさまって、賑わいを取り戻してほしいと思います。
何を食べても超美味しい和菓子が揃う「三津屋製菓舗」
たまたま入った和菓子屋さん『三津屋製菓舗』。ういろうや六方焼き等数種類を購入しましたが、どれを食べてもめちゃめちゃ美味しかったです。おそらく水が良いんでしょうね。
地元の「かくしゃく」としたかっこいいおばあちゃんが「水ようかんあるかね?」と店主さんに聞いていました。その日は残念ながら売り切れていましたが、水ようかんも絶対に美味しいと思います。
https://twitter.com/88qLV4vjqZpNM5n/status/1345293365345075201
手作りなのに、味だけではなく見ためも美しい和菓子。お皿に一つだけ載せると京都の老舗和菓子店にも引けを取りません。
しかも、昔ながらのヘルシーさ。甘さ控えめなのも嬉しいポイントです。
店舗名 | 三津屋製菓舗 |
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所在地 | 岐阜県下呂市金山町金山2230 |
電話番号 | 0576-32-2117 |
営業時間 | 8:30~18:30 |
定休日 | 不定休 |
立派なお寺が突然登場!『曹洞宗・金山長福寺』
歴史を感じさせる『曹洞宗・金山長福寺』。2階建ての山門が印象的な、とにかく立派なお寺です。創建は1545年。開祖は長悦和尚です。
この立派な山門は、1813年、宮大工、木曽福島伝右衛門によって建てられたもので、江戸時代後期以降に建てられた貴重な「楼門建築(高くそびえる山門)」として、下呂市の文化財に指定されています。
お寺の前にいらっしゃった観音様。交通安全にご利益があるようです。『曹洞宗・金山長福寺』は、下呂市立金山小学校のグランドの近くです。
https://www.youtube.com/watch?v=j7o-GaPnTpY
2021年3月末に下呂市金山町にあった小学校4校が統合して、新学期から「(新)下呂市立金山小学校」になったそうです。
つまり金山小学校以外の3校はすべて閉校になったわけなのですが、中には明治6年から続いていた歴史ある学校も含まれます。ここでも少子化が進んでいるのですね。
ちなみに「(新)下呂市立金山小学校」の校歌は、人気ロックバンド・サカナクションの山口一郎さんと、飛騨出身の木彫作家でお父さんの保さんが共同制作したものです。(下呂市立金山小学校校歌)
4番まである歌詞はそれぞれ、短いフレーズの中に閉校した4校の地区の特色が盛り込まれている。1番は縄文期岩屋岩陰遺跡のある東地区、2番は美濃と斐太(ひだ=飛騨)の川が合流する金山地区、3番は御岳山を望む「嶽見桜(たけみざくら)」のある菅田地区、4番は幕末に世界一周を旅した俳人・加藤素毛の故郷下原地区に思いをはせる。(飛騨経済新聞)
『曹洞宗・金山長福寺』の金剛力士像。こちらも山門に負けず、かなり立派なもので、迫力があります。
クリスマス前だったので、飛騨金山の街もライトアップされていました。夜の7時くらいでしたが、観光客はもちろんのこと、地元住民もほとんど見かけませんでした。淋しいというよりもシュールでした。
2020年12月12日から13日にかけて訪れた『縄文公園(下呂ふるさと歴史記念館)』と『筋骨めぐり』を中心にご紹介しました。
昭和40年代の岩屋ダム建設時は建設作業員たちで相当賑わっていたようですが、現在は、派手なところが一切なく、ひっそりとした街になっています。
とはいえ、岩屋岩蔭遺跡、縄文公園、筋骨めぐりなど、観光客が十分楽しめる街であることは確実です。
土偶の作り方を指導していただいた歴史記念館のお姉さん、和菓子屋のご主人、電話で対応してくれた観光局のスタッフの方、現地で出会った人は皆さん、親切な方ばかりでした。
上り下りとも1日1本となりますが、ワイドビューひだも停車しますので、ぜひ一度足を延ばしてみてください。大好きな街になること間違いありません。