歴史 PRを含む

【完全版】祝!世界遺産登録!三内丸山など『北海道・東北の縄文遺跡群』17+2の魅力をすべてピックアップ!

2013年から世界遺産登録を目指していた『北海道・北東北の縄文遺跡群』について、2021年5月26日「国連教育科学文化機関(ユネスコ)」の諮問機関である「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が世界文化遺産への登録を勧告しました。

『北海道・北東北の縄文遺跡群』は、北海道、青森、岩手、秋田にまたがる17の遺跡群で構成されています。

なかでも約40haにもおよぶ広大な土地に、道路や大型の建物などが計画的に配置された集落跡である「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」は世界的にも有名ですよね。

7月にオンラインで開催される世界遺産委員会で最終審査されることになるのですが、イコモスが登録を勧告すれば、通常はそのまま世界遺産に認定される運びとなります。

新型コロナウイルスの影響で昨年から持ち越しとなっていた自然遺産候補の『奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表(いりおもて)島』(鹿児島、沖縄両県)も同時に審査されます。

何かと暗いニュースの多い昨今ですが、梅雨が明けた7月には、日本列島北から南まで『世界遺産』の話題で大いに盛り上がりそうですね。

『北海道・東北の縄文遺跡群』とは?

北海道・東北の縄文遺跡群地図

「縄文時代」は今から約15,000年前に始まり、稲作が本格化する「弥生時代」まで10,000年以上続きました。「縄文時代」を別の言葉で言い換えれば、「石器時代」となります。

「縄文時代」は、土器や磨製石器を使い、竪穴式住居に定住し、貝塚を作っていたことから、「縄文時代」は、石器時代のなかでも「新石器時代」にあたります。

ただし、狩猟採集経済でありながら定住生活を営んでいたのは、縄文人と北アメリカ北西海岸の先住民のみなので、グローバルスタンダードな「新石器時代の定義」と完全に合致するものではありません。

明治大学の佐々木 憲一教授の分類によると、縄文時代は①草創期(1万5,000年~1万1,500年前)・②早期(1万1,500年~7,000年前)・③前期(7,000年~5,500年前)・④中期(5,500年~4400年前)・⑤後期(4,400年~3,200年前)・⑥晩期(3,200年~2,400年前)の6期に分けられ、『北海道・東北の縄文遺跡群』は、これら縄文時代の全期間を完全にカバーするものなのです。

たとえば、青森県東津軽郡の『大平山元遺跡(おおだいやまもと)』から出土した世界最古の石鏃(せきぞく/石で作った矢じり)や世界最古級の土器は、およそ1万6,500~1万5,000年前のものと推定されています。

Ruby
Ruby
『北海道・東北の縄文遺跡群』をしっかり学べば、1万年以上続いた縄文時代について、『だいたいわかる』ということですね!

それでは、北海道、青森、岩手、秋田にまたがる17の縄文遺跡の魅力をピックアップしていきます。

さらに北海道と青森には1つずつ「関連資産」がありますので、そちらも合わせてご紹介しますね。

『キウス周堤墓群』日本最大規模の縄文時代のお墓

『キウス周堤墓群(しゅうていぼぐん)』は、縄文時代後期(約3,200年前)の共同墓地「9基」で構成される国指定の史跡です。縄文時代のお墓としては日本最大の規模を誇ります。※形がはっきりわかるものが8基のみなので、資料によっては8基とされていたり、さらに範囲を広げて14基とされている場合もあります。

史跡の面積は約5万㎡で、もっとも大きいお墓は直径約83m、深さ5mで、土手が低くんなった「出入り口」があります。

一般的な周堤墓の直径は10m~30mですので、70m超級の周堤墓が集まる『キウス周堤墓群』は、巨大な共同墓地だといえるでしょう。

そしてこれは、縄文人たちが「死者を敬い埋葬する」といった高い精神性を持っていた証拠となります。

「キウス」という聞きなれない言葉は、アイヌ語の「キ・ウシ(茅(かや)が群生する場所)」が由来だと考えられています。当時は眼前の湖沼に茅が広がっていたのでしょうか。

周堤墓の構造公式パンフレット「国指定史跡キウス周堤墓群」より

「周堤墓」とはドーナツ状の共同墓地で、中央に複数の墓穴を掘りひとりひとりのご遺体を埋葬します。「周堤」とは、「周囲の土手」のことをいいます。

『キウス周堤墓群』から出土した土器や木製品などは、車で約10分ほどの場所にある『千歳市埋蔵文化財センター』に保管、展示されています。

『千歳市埋蔵文化財センター』では、「勾玉づくり」「火起こし体験」「縄文クッキーづくり」などを通じて縄文文化を学べます。詳細につきましては現地にお問い合わせください。

遺跡名称キウス周堤墓群
所在地北海道千歳市中央2777
ガイド市民団体(要確認:0123-24-4210)
交通アクセス長都駅(JR千歳線)から車で約15分/千歳東IC(道東自動車道)から車で約2分/千歳市埋蔵文化財センターから車で約10分
資料館名称千歳市埋蔵文化財センター
所在地北海道千歳市長都42-1
電話番号0123-24-4210
開館時間9:00~17:00
休館日土曜日、日曜日(第2日曜日を除く)、祝日、年末年始(12月29日~1月3日)※2021.6.20まで休館
入館料無料
ガイド専門職員による展示解説(無料、日本語)※事前予約制
交通アクセス長都駅(JR千歳線)から車で約7分/千歳東IC(道東自動車道)から車で約8分
関連サイトhttps://www.city.chitose.lg.jp/docs/95-43785-169-915.html

『入江貝塚』『高砂貝塚』他地方との交流あり!

『高砂貝塚(たかさごかいづか)』と『入江貝塚』は徒歩で約10分の距離にあることから、『入江・高砂貝塚』とひとつにまとめられます。

縄文時代前期末から晩期中葉(紀元前3,500年~紀元前800年頃)の国の史跡です。

『入江・高砂貝塚』は、貝塚をはじめ、竪穴式住居や土坑墓等で構成されています。

ここからは、北海道では入手できないイノシシの犬歯を使い人の歯型を模した装飾品が出土しており、他の地域と交流があったことがわかっています。

両貝塚の真ん中には「入江高砂貝塚館」があり、出土した縄文式土器や副葬品などが展示されています。

5月中旬には「とうや湖縄文の日体験」、7月中旬には「とうや湖縄文まつり」が開催され、釣りや弓矢、火起こし体験などが楽しめます。

また4月~11月には月1回の縄文講座も開催していますので、「入江高砂貝塚館」まで直接お問い合わせください(事前予約制)。

『高砂貝塚』縄文人も抜歯していた?!

『高砂貝塚』では、後期初頭の土坑墓が1基、晩期中葉の土坑墓が28基出土し、抜歯の痕跡がある人骨や胎児骨を伴う妊産婦のお墓もありました。※「土坑」とは、人間が掘った穴のこと。

遺跡名称高砂貝塚
所在地北海道虻田郡洞爺湖町高砂
交通アクセス入江・高砂貝塚館から徒歩で約5分/入江貝塚から徒歩で約10分
関連サイトhttps://jomon-japan.jp/learn/jomon-sites/takasago

『入江貝塚』縄文人も「助け合い」の精神あり!

『入江貝塚』からは、縄文時代前期末の人骨が4体、中期のものが4体、後期初頭のものが7体の計15体が出土しました。

なかには、筋萎縮症を発症した成人(性別不明)の骨もあり、少なくとも十数年間は、手厚い介護を受けながら日常生活を送っていたと考えられています。

自分のことだけでも大変な北海道の縄文時代に、身体の不自由な方の介護までしていたとは驚きですね。

ちなみに、怪我なのか先天性なのかは不明ですが、盲目で手が不自由なネアンデルタール人の男性も、当時としては超高齢の4~50歳まで介護されながら生きていたそうです。

縄文時代よりさらに古い3万5,000年前から6万5,000年前の話で、イラクのシャニダール洞窟から彼を含む9名の人骨が見つかっています。

『入江貝塚』は、三か所の貝塚からなり、最大のものは、東西40m、南北35m、中心の厚さは3mにも達しています。

一般的に貝塚は白っぽいものですが、入江貝塚には貝殻が少なく、海の生き物や魚の骨、灰や焼け土が厚く積もり、「黒い貝塚」とよばれています。

遺跡に設けられた「貝塚トンネル」では、エゾシカの骨や土器が混ざる貝塚の断層を見学することができます。

遺跡名称入江貝塚
所在地北海道虻田郡洞爺湖町入江
開館時間9:00〜17:00
交通アクセス入江・高砂貝塚館から徒歩で約5分・高砂貝塚から徒歩で約10分
関連サイトhttps://jomon-japan.jp/learn/jomon-sites/irie
資料館名称入江・高砂貝塚館
所在地北海道虻田郡洞爺湖町高砂町44
電話番号0142-76-5802
開館時間9:00~17:00
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)・12月1日~3月31日 (2021年度は6月上まで休)
入館料大人150円 小・中学生・高校生100円
交通アクセス洞爺駅(JR室蘭本線)から徒歩で約15分/虻田洞爺湖IC(道央自動車道)から車で約10分
関連サイトhttp://www.town.toyako.hokkaido.jp/syakaikyouiku

『北黄金貝塚』世界最古の刀が出土

『北黄金貝塚(きたこがねかいづか)』は、約6,000年~5,000年前の貝塚と水場遺構(みずばいこう)を中心とした集落遺跡。北海道の縄文貝塚の約5分の1の面積を占め、貝塚は全部で5か所あります。世界最古の「刀」が出土したことでも知られています。

湧水が噴出していた『北黄金貝塚』の水場遺構(みずばいこう)は、北海道最古のものとされています。

縄文人たちは水場を神聖なものと考えていたようで、そこで古くなった道具を供養していたようです。この水場は約2,000年間使われ、調査面積約200㎡から1,209点もの壊れた石器が出土しました。

Ruby
Ruby
『北黄金貝塚』では、発掘調査を行った状態をそのまま露出展示しているので、貴重な石器もそのままです!

『北黄金貝塚』では、貝殻のほかに、魚、シカ、オットセイ、木の実、さらに「縄文前期の14体の人骨」が見つかっています。このことより貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、「植物を含むすべての生き物の墓地」と考えられていたことがわかります。

Ruby
Ruby
『北黄金貝塚』の縄文人たちは、でんぷん質、どんぐりなど木の実はあまり食べていなかったようで、ほとんど虫歯が無かったようです。
百犬くん
百犬くん
歯医者さんがないから、虫歯になると大変だワン

毎年8月末にはコンサートや縄文シンポジウムなど盛りだくさんの「だて噴火湾縄文まつり」が開かれます。また普段でも、黒曜石のナイフづくりや、勾玉づくりなどが体験できますので、遺跡に隣接する『北黄金貝塚情報センター』までお問い合わせください。

『北黄金貝塚情報センター』では、遺跡からの出土品や貝塚の断面を見ることができます。

遺跡名称北黄金貝塚
所在地北黄金貝塚情報センター隣接(史跡北黄金貝塚公園内)
ガイドボランティアガイド(所要時間約45~60分、日本語)500円・2週間前までに要予約
資料館名称北黄金貝塚情報センター
所在地北海道伊達市北黄金町75
電話番号0142-24-2122
開館時間9:00~17:00
休館日12月1日~3月31日(冬期間閉鎖)
入館料無料
ガイド多言語解説アプリ「ポケット学芸員」(スマートフォンに対応)
交通アクセス黄金駅(JR室蘭本線)から車で約2分/道南バス「北黄金貝塚公園前」下車(徒歩5分)/室蘭IC(道央自動車道)から車で約10分
関連サイトhttps://www.city.date.hokkaido.jp/funkawan/

『大船遺跡』桁外れに大きな竪穴建物がある遺跡

『大船遺跡(おおふねいせき)』は、縄文時代前期後半(約5,200年前)から中期後半(約4,000年前)頃の大規模な集落遺跡です。

遺跡は、100棟を超える竪穴建物跡からなる住居域と大規模な盛土遺構、貯蔵穴、土杭群などからなり、出土遺物は約20万点にもおよびます。

大船遺跡の巨大な建物跡パンフレット「縄文 JOMON」より

大船遺跡の一番の特徴は、とにかく竪穴建物のサイズが大きいこと。一般的なサイズは、深さ0.5m、長さ4~5mほどですが、大船遺跡では、深さ2.4m、長さ8~11mのものも発掘されています。

大きなサイズの竪穴建物を造るには指導者や多くの人手が必要で、同一集団の縄文人たちが団結し、この地に長期にわたり定住していたことがわかります。

またクリの実やクジラ、オットセイ、マグロなど、さまざまな食べ物の痕跡が出土しており、豊かな食生活だったと推定されます。また、漆器や翡翠の加工など、高度な技術を習得していたようです。

  • 【縄文のにわ】竪穴建物を復元展示
  • 【縄文の森】クリやブナ、エゾヤマザクラを植栽することで当時の森を復元
  • 【縄文のひろば】土器の野焼きなど当時の生活を体験

太平洋の向こうには、天気が良いと羊蹄山や有珠山、室蘭が遠望でき、縄文時代さながらの風景が楽しめます。

大船遺跡、垣ノ島遺跡などの出土品を公開している『函館市縄文文化交流センター』では、北海道唯一の国宝である「中空土偶」が常設展示されています。

「中空土偶」は、高さ41.5cm、幅20.1cm、重さ1.745kgと、国内最大。愛称は、遺跡のある南茅部地区の「茅(カヤ)」と中空土偶の「空(クウ)」で「茅空(カックウ)」。可愛いお顔にピッタリの名前ですね。

『函館市縄文文化交流センター』では、ミニチュア土器やカックウの顔、縄文アクセサリー作り等が体験できます。

遺跡名称大船遺跡
所在地北海道函館市大船町
ガイド4月下旬~11月上旬は管理人が常駐し、案内対応(無料、日本語)事前申し込み要
交通アクセス函館バス「大船小学校前」下車徒歩で約10分/函館市縄文文化交流センター、垣ノ島遺跡から車で約10分
資料館名称函館市縄文文化交流センター(大船遺跡・垣ノ島遺跡)
所在地北海道函館市臼尻町551-1
電話番号0138-25-2030
開館時間4月~10月9:00~17:00/11月~3月9:00~16:30
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)・毎月最終金曜日・年末年始(12月29日~1月3日)
入館料大人300円 小・中学生・高校・大学生150円
ガイド無料、日本語・要事前予約(当日の申込は要相談)
交通アクセス函館駅(JR函館本線)から車で約60分/函館バス「臼尻小学校前」下車徒歩で約15分/大船遺跡から車で約10分
関連サイトhttp://www.hjcc.jp/

『垣ノ島遺跡』子どもの足形の不思議な土製品

『垣ノ島遺跡(かきのしまいせき)』は、縄文早期から後期(紀元前7,000年~1,000年頃)の集落遺跡で、太平洋に面した高台にあります。駒ヶ岳の噴火により一度断絶したものの、約6,000年間にわたり定住していたことを示す貴重な集落跡です。

とくに縦190m、横120mの巨大な「送り場(祭祀・儀礼の空間)」が圧巻。盛土が三方を取り囲んだ「コ」の字形になった遺構で国内最大規模。約4,000年前のものになります。

海に面した遺跡だけあり、漁労が盛んで、漁網用の石錘が多数出土しているのも特徴のひとつ。

子どもの足形付き土製品北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズ「史跡・垣ノ島遺跡」より

『垣ノ島遺跡』から出土した1歳前後の子どもの足形・手形付き土版(どばん)。吊り下げ用の穴が1~2か所あります。約6,500年前のもので、17枚出土しています。

土版の用途は、幼子の成長祈願やお守り、我が子の形見など諸説あるようです。いずれにしても縄文人の高い精神性を示す出土品ですね。

足形・手形付き土版をはじめとする『垣ノ島遺跡』の出土品は、『函館市縄文文化交流センター』に展示されています。

遺跡名称垣ノ島遺跡(函館市縄文文化交流センターに展示)
所在地北海道函館市臼尻町(函館市縄文文化交流センター隣接)
関連サイトhttps://jomon-japan.jp/learn/jomon-sites/kakinoshima
備考2021年6月公開予定

『大平山元遺跡』世界一古い石の矢じりが出土

『大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)』は、約16,500年前の縄文土器が出土した旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡。『北海道・北東北の縄文遺跡群』のなかでは、もっとも古いものです。

「縄文土器」といっても、大平山元遺跡から出土したものは、模様のない土器の欠片でしたが、世界最古の「煮炊きした跡」が見つかりました。

また、世界一古い石鏃(せきぞく/石の矢じり)も見つかり、もちろんこれは、世界一古い弓矢を使用していた証拠でもあります。

サケやマスが獲れる蟹田川の沿岸で、「移動式のテント」のようなものに住んでいたようで、旧石器時代の遊動生活から縄文時代の定住生活への移行期の遺跡だと考えられています。

『大平山元遺跡』から出土した土器や石器は、『外ヶ浜町大山ふるさと資料館』に展示されています。また、現在は新型コロナウイルスのため休館中ですが、『青森県立郷土館(青森市本町2丁目8-14 )』でも、約15,000年前の土器片等が公開されています。

例年7月中旬に開催される『外ヶ浜町港まつり』では、遺跡体験やワークショップに参加できます。お問い合わせは、外ヶ浜町役場産業観光課(0174-31-1228)まで。

遺跡名称大平山元遺跡
所在地青森県東津軽郡外ヶ浜町字蟹田大平山元
交通アクセス外ヶ浜町大山ふるさと資料館から徒歩で約5分
資料館名称外ヶ浜町大山ふるさと資料館
所在地青森県東津軽郡外ヶ浜町字蟹田大平沢辺34-3
電話番号0174-22-2577
開館時間9:00~16:00
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月4日)
入館料無料
交通アクセス大平駅(JR津軽線)から徒歩で約5分・奥津軽いまべつ駅(JR北海道新幹線)から車で約20分(予約制の乗り合いタクシー有り)※大平山元 遺跡は外ヶ浜町大山ふるさと資料館から徒歩で約5分
関連サイトhttps://jomon-japan.jp/learn/jomon-sites/odai-yamamoto

『田小屋野貝塚』貝輪(ブレスレット)を製作

『田小屋野貝塚(たごやのかいづか)』は、日本海側にある数少ない貝塚のひとつ。岩木川の左岸に位置しています。

縄文海進期に形成された内湾である「※古十三湖(こ・じゅうさんこ)」で採れたヤマトシジミを中心とする貝塚と、竪穴建物、墓、貯蔵穴などで構成されています。※現在は縮小して『十三湖/十三潟』とよばれている。

縄文海進・・・縄文時代前期(約1万~5500年前)にあった海進。最終氷期のあと気候が温暖化に転じ、約6000年前をピークとして現在の海面より約2~3メートル高くなった。当時の海岸線にあたる場所に多くの貝塚が存在することが知られる。(ニッポニカより引用)

『田小屋野貝塚』は、縄文時代前期から中期(紀元前4000~2000年ごろ)の遺跡で、製造途中のベンケイ貝の貝輪(ブレスレット)が多数出土しました。

そして同じ貝輪が北海道で発掘され、逆に『田小屋野貝塚』からは北海道産の黒曜石が出土していることから、海峡を越えた交易があったことがわかります。

動画は、NPO法人つがる縄文の会主催の「田小屋野貝塚ウォーク」の風景。4月~11月の土日祝は、田小屋野貝塚と亀ヶ岡石器時代遺跡のガイドがお願いできます

『つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)』では、田小屋野貝塚の展示コーナーが設けられ、大型竪穴建物の復元田小屋野貝塚から出土した石器、成人女性の人骨などを公開しています。

遺跡名称田小屋野貝塚
所在地青森県つがる市木造館岡田小屋野
ガイドボランティアガイド(所要時間約30~60分、無料、日本語)/4~11月の土日祝日の10:00~15:00対応/縄文遺跡案内所(亀ヶ岡石器時代遺跡南側)に待機/事前予約不要
交通アクセス木造駅(JR五能線)から車で約20分/弘南バス「田小屋野」下車徒歩で約3分/亀ヶ岡石器時代遺跡から徒歩で約10分/つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)から車で約20分
資料館名称つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)
所在地青森県つがる市木造若緑59-1
電話番号0173-42-6490
開館時間9:00~16:00
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)/祝・休日の翌日/年末年始(12月29日~1月3日)
入館料大人200円 高校・大学生100円 小・中学生50円
ガイド専門職員による展示解説(所要時間20~60分、無料、日本語・英語)※要電話確認
交通アクセス木造駅(JR五能線)から徒歩で約15分/弘南バス「しゃこちゃん温泉」下車徒歩で約5分
関連サイトhttps://www.city.tsugaru.aomori.jp/soshiki/kyoiku/

『亀ヶ岡石器時代遺跡』一番有名な土偶が出土

『亀ヶ岡石器時代遺跡』は、歴史の教科書などでもおなじみの遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)が出土したことで知られている縄文時代晩期(紀元前1,000年~300年頃)の集落遺跡です。

目のあたりがイヌイットのスノーゴーグル(遮光器)に似ていることから、このような名前が付けられたとのことです。

「遮光器土偶」は、女性をかたどり(えっ?)多産や豊穣を祈願するために作られたものだとか、一部には宇宙人を模したものだとか、諸説あるようですが、よく見れば愛嬌があり巧みに作られていますね。

『亀ヶ岡石器時代遺跡』の最寄り駅であるJR五能線「木造駅(きづくりえき)」では、駅舎に遮光器土偶(愛称:しゃこちゃん)の巨大モチーフが飾られています。高さはなんと17m!

向日葵さん
向日葵さん
電車が到着する3分前から目が七色に光りだし、地域の子どもたちを怖がらせているそうです

1988(昭和63)年の「ふるさと創生事業」の交付金1億円を活用して、駅を改築したそうですが、結局2億1,200万円もかかったそうです。

『亀ヶ岡石器時代遺跡』も田小屋野貝塚同様、「古十三湖(こ・じゅうさんこ)」に面した遺跡で、亀山、沢根、近江野沢の3地区で構成されます。

亀ヶ岡の地名の由来は、「甕(かめ)が出土する丘」とされ、ここから発掘された彩色土器は「亀ヶ岡物」とよばれ、当時のマニアたちの間で大人気。

滝沢馬琴らによる鑑賞会の記録『耽奇漫録(たんきまんろく)』などにも、出土品の記録が残されています。さらには、出島のオランダ商館を通じ、ヨーロッパ諸国にも流出しています。ただし残念なことに、1万個を越える土器が勝手に発掘されて持ち去られているそうです。

土器や土偶をはじめ、すばらしい漆塗り製品、ヒスイ製品の玉類などが、「つがる市木造亀ヶ岡考古資料室」で公開されています。

1887(明治20)年に遺跡南部の沢根地区から出土した遮光器土偶は、現在、東京国立博物館に収蔵・展示されていますが、『つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)』に精巧なレプリカが公開されています。

また、『つがる市木造亀ヶ岡考古資料室』では、亀ヶ岡遺跡で出土された土器や石器、漆器、ガラス球、土偶など、1,000点を超える貴重な歴史資料を展示しています。

遺跡名称亀ヶ岡石器時代遺跡
所在地青森県つがる市木造館岡
ガイドボランティアガイド(所要時間約30~60分、無料、日本語)/4~11月の土日祝日の10:00~15:00対応/縄文遺跡案内所(亀ヶ岡石器時代遺跡南側)に待機/事前予約不要
交通アクセス木造駅(JR五能線)から車で約20分/弘南バス「亀ヶ岡」下車/田小屋野貝塚から徒歩で約10分/つがる市木造亀ヶ岡考古資料室から車で約10分
資料館名称つがる市木造亀ヶ岡考古資料室
所在地青森県つがる市木造舘岡屏風山195
電話番号0173-45-3450
開館時間9:00~16:00
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)/祝・休日の翌日/年末年始(12月29日~1月3日)
入館料大人200円 高校・大学生100円 小・中学生50円
ガイド専門職員による展示解説(所要時間20~60分、無料、日本語・英語)※要電話確認
交通アクセス木造駅(JR五能線)から車で約20分/弘南バス「館岡」下車徒歩で約15分
関連サイトhttps://www.city.tsugaru.aomori.jp/soshiki/

『大森勝山遺跡』今でも縄文人と同じ風景が見られる

『大森勝山遺跡(おおもりかつやまいせき)』は、縄文時代晩期初頭の環状列石(ストーンサークル)を主体とする祭祀遺跡。環状列石としてはもっとも新しく、今から約3,000年前の縄文時代晩期のもの。

大森勝山遺跡の環状列石は、青森県の最高峰、標高1,625 mの岩木山の北東山麓の標高143~145mに位置し、長径48.5m、短径39.1mの楕円形。約1,200個もの石材がを使い77基の組石を配置しています。

さらに長径13.77m、短径12.8m、壁高51.5cmのほぼ円形の大型竪穴建物1棟も確認されています。

空から見た大森勝山遺跡と岩木山北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズ「史跡大森勝山遺跡」より

『大森勝山遺跡』の大きな魅力のひとつは、視界に入る人工物が何もないこと。私たちも縄文時代の人々とほぼ同じ風景を楽しむことができます。

Ruby
Ruby
冬至の日に『大森勝山遺跡』から岩木山を見ると、ちょうど山頂に夕日が沈みます

現在、環状列石や竪穴建物は保護のため埋め戻されていますが、今後、自然石材による復元整備を行うそうです。

縄文晩期といえば「亀ヶ岡物」。江戸時代から国内だけではなくヨーロッパでも人気でしたね。裾野地区体育文化交流センター』では、『大森勝山遺跡』の出土品を展示しています。

また、弘前公園のなかにある『弘前市立博物館』でも、『大森勝山遺跡』の出土品を展示しています。

2020年までは毎年8月初旬に「大森勝山じょうもん祭り」が開催され、ふるまい鍋や縄文クイズラリー、コンサートなど、さまざまなイベントに無料で参加できました。お問い合わせは、弘前市教育委員会文化財課埋蔵文化財係 (0172-82-1642(直通))まで。

遺跡名称大森勝山遺跡
所在地青森県弘前市大森字勝山
交通アクセス弘前駅(JR奥羽本線)から車で約40分/弘南バス「赤倉神社登山口」下車徒歩で約60分/裾野地区体育文化交流センターから車で約10分
資料館名称弘前市立裾野地区体育文化交流センター
所在地青森県弘前市十面沢字轡8-9
電話番号0172-99-7072
開館時間9:00~21:00
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
入館料無料
交通アクセス弘前駅(JR奥羽本線)から車で約45分/弘南バス「裾野中学校前」下車徒歩で約5分
関連サイトhttp://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/
資料館名称弘前市立博物館
所在地青森県弘前市下白銀町1-6 弘前公園内
電話番号0172-35-0700
開館時間9:30~16:30
休館日第3月曜日(祝・休日の場合は翌日)・年末年始※臨時開館、臨時休業あり(要確認)
入館料一般300円・高校大学生150円・小中学生100円
交通アクセス弘南バス「市役所前公園入口」下車徒歩約5分・土手町循環100円バス「市役所前」下車徒歩約5分/大鰐・弘前IC(インターチェンジ)より約30分
関連サイトhttp://www.city.hirosaki.aomori.jp/hakubutsukan/

『三内丸山遺跡』東北一有名な縄文遺跡

https://twitter.com/ivu62/status/1397520694158626821

『三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)』は、『北海道・北東北の縄文遺跡群』のシンボル的存在といっても良いのではないでしょうか。遺跡に詳しくなくても、名前くらいは聞いたことがある人も多いと思われます。

『三内丸山遺跡』は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5,900年~4,200年前)の大規模集落跡です。

『三内丸山遺跡』では住居群や倉庫群のほかに、シンボル的な3層の六本柱建物が再現され、段ボールで4万箱分におよぶとされる膨大な出土遺物は、『縄文時遊館』に保管展示されています。

ほかの遺跡とは違い『板状土偶』が多数出土し、土器、石器、そして、交易で得たと考えられる黒曜石、琥珀、漆器、糸魚川の翡翠製大珠(たいしゅ/呪術用・祭事用具)も出土しています。このうち1,958点が重要文化財に指定されています。

クリ、クルミ、トチ、エゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどを、「自然の恵み」として山から採取するのではなく、植栽していたこともわかっています。

『三内丸山遺跡』で復元された遺構

  1. 六本柱建物・・・柱穴の間隔:幅:深さがそれぞれ4.2m:2m:2mで統一されている。4.2mは35cmの倍数で、35cmという単位はほかの縄文遺跡でも確認されており、「縄文尺」というべき単位が共通規格として共有されていた可能性がある。さらに、腐食を防ぐために周囲を焦がすといった技術が使われ、柱は2度ほど内側に傾けられている(現在の「内転(うちころび)」)。ただし、柱が6本建っているだけだったのか、装飾されていたのかは不明。147mとして復元している。
  2. 大型竪穴式住居・・・大型の竪穴式住居の中でも最大のもの(長さ32m、幅10m)を復元。内部の見学もできる。
  3. 竪穴式住居・・・茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類の屋根の住居を復元している。これも内部見学可能。550棟以上見つかり15棟を復元。
  4. 掘立柱建物(高床式倉庫)・・・階段あり。2001年に放火事件があり、現在は外からの見学のみ。
  5. 環状配石墓(ストーンサークル)・・・ムラ長の墓と推定。1999年に炭化材が出土し、最古の「木棺墓」の跡とされている。
  6. 南盛土と北盛土(みなみもりど・きたもりど)・・・大量の土器や石器、土偶、翡翠などが土と一緒に捨てられている場所。丘のようになっている。
  7. 大人の墓(土杭墓)と子供の墓(埋設土器)・・・大人は地面に掘られた穴に埋葬され、子供は土器に入れて埋葬されていた。
板状土偶パンフレット「三内丸山遺跡 -縄文時代の大規模集落-」 より

この時期の土偶は、板状の十字型をしていて、顔、胸、おへそが表現されています。完全なものはほとんどありませんでしたが、このようなものが2,000点も出土したそうです。

純太くん
純太くん
美味しそうに見える
Ruby
Ruby
このようなクッキーが売店で売られているような気がする

縄文時遊館内の縄文レストラン「五千年の星」では、縄文人も食べていた栗を使った「そふと栗夢(モンブラン風のソフトクリーム)」や何が出てくるかわからない「発掘プレート」、縄文古代米のおにぎり、栗、どんぐり、長芋が練りこまれた「縄文うどん」など、楽しくてヘルシーなメニューがいっぱい。

体験工房では、縄文ポシェット、板状土偶、勾玉、琥珀のペンダントなど、『三内丸山遺跡』にちなんだ作品を作ることができます。所要時間は30分~100分。料金は330円から1,570円程度。

遺跡名称青森県青森市三内丸山
所在地青森県青森市三内字丸山(センターに隣接)
ガイドボランティアガイド(所要時間約50分、無料)/専用のタブレット端末(総合案内で貸出)による遺跡・展示解説
資料館名称三内丸山遺跡センター(遺跡+縄文時遊館)
所在地青森県青森市三内字丸山305
電話番号017-766-8282
開館時間10月~5月9:00~17:00・6月~9月とゴールデンウィーク9:00~18:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日第4月曜日(祝・休日の場合は翌日)/年末年始(12月30日~1月1日)
入館料大人410円 高校・大学生等200円 中学生以下無料
ガイドミュージアムガイド※スマートフォンに対応/専用のタブレット端末(総合案内で貸出)による遺跡・展示解説
交通アクセス青森IC(東北自動車道)から車で約5分/新青森駅(JR東北新幹線)から車で約10分/青森市営バス・シャトルdeルートバスねぶたん号「三内丸山遺跡」
公式サイトhttp://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/

『小牧野遺跡』複雑な配置のストーンサークル

「小牧野遺跡(こまきのいせき)」は、三内丸山遺跡の南に位置する縄文時代後期前半(紀元前2,000年頃)の遺跡です。

大規模な環状列石を主体とし、竪穴建物跡、貯蔵穴、捨て場跡、湧水遺構などの生活遺構と、土坑墓や土器棺墓(かんぼ)などの墓制遺構が確認されています。

発掘調査で生じた廃土を盛り上げて作った見晴らし台からは、環状列石はもちろんのこと、晴れた日には陸奥湾まで一望できます。ほかにも下北半島まで見える展望台が設けられています。

「竜神さまの泉がある」や「泉に水を飲みに行ったら、大蛇に食われてしまった人がいる」といった地元の伝説があり、調査したところ実際に湧水遺構があり、現在も水が湧いているそうです

1989(平成元)年に環状列石が見つかっていますが、三内丸山遺跡同様、全国的に珍しい煩雑な石の並べ方で「小牧野式」とよばれています。

小牧野遺跡の環状列石

直径2.5mの中央帯、直径29mの内帯、直径35.5mの外帯の三重の輪のほか、さらに外側に、一部四重となる弧状列石や、直線状列石、直径4mの環状列石などがあり、直径は55mにもおよぶ。

荒川から運んだと推測された石を、縦に置き、さらにその両脇に平らな石を横に数段積み重ね、さらにその脇に縦に石を置いて環状に並べて、そうして出来た環をさらに三重(一部四重)にしている。配石の中に大型壺形土器(甕棺;かめかん)もみられる。(引用:小牧野遺跡wikipedia)

平成24年に閉校となった旧野沢小学校をリノベーションした「縄文の学び舎・小牧野館」では、祭祀用の『三角形岩版』や『円形岩版』、土偶や石器、女性の装飾品などの出土品を展示しています。

「縄文の学び舎・小牧野館」は、小牧野遺跡から約1.5㎞の場所にあります。子どもには新鮮、大人には懐かしい、とてもノスタルジックな雰囲気。

遺跡名称小牧野遺跡
所在地青森県青森市大字野沢字小牧野
ガイドガイド(所要時間約30~40分、無料、日本語)2週間前までに要予約
閉鎖期間冬季閉鎖(11月16日~4月30日)
交通アクセス青森駅(JR奥羽本線)から車で約35分/青森中央IC(青森自動車道)から車で約25分/青森市民バス「野沢」下車徒歩約30分/青森市小牧野遺跡保護センター縄文の学び舎・小牧野館から車で約5分
資料館名称青森市小牧野遺跡保護センター縄文の学び舎・小牧野館
所在地青森県青森市大字野沢字沢部108番地3
電話番号017-757-8665
開館時間9:00~17:00
休館日年末年始(12月29日~1月3日)
入館料無料
交通アクセス青森駅(JR奥羽本線)から車で約30分/青森中央IC(青森自動車道)から車で約20分/青森市民バス「野沢」下車徒歩約3分
関連サイトhttps://komakinosite.jp/index.php

『二ッ森貝塚』子犬を埋葬していた

https://twitter.com/towada2828/status/993776070947102720

『二ツ森貝塚(ふたつもりかいづか)』は、縄文時代前期前葉~中期末葉(約5,500年~4,000年前)の貝塚で、東西に約600m、南北に約170mの範囲に広がっています。ここは、三内丸山遺跡とほぼ同時期に栄えました。

厚さ1.2~1.5mの貝塚は東西にふたつあり、竪穴建物、貯蔵穴、墓が配置されています。復元された竪穴住居がフォトジェニックで、SNS映えしそうですね。

貯蔵穴の底には、メスの子犬が丁寧に埋葬されていたそうです。当時の人が大切に飼育していたようですね。

『二ツ森貝塚館』も、閉校になった旧天間東小学校をリノベーションした施設。縦約1.2m、横約5mの剥ぎ取った貝塚の断面を展示するほか、「鹿角製尖頭器(ろっかくせいせんとうき)」といった県の重要文化財5点など、約350点を公開しています。

「鹿角製櫛(ろっかくせいくし)」は、約5,000年前の作品。現代でも十分通用する美しく見事な装飾です。県の重要文化財。

翠さん
翠さん
生活していくだけでも大変だったはずの5,000年前の人たちもオシャレ心があったのね
村田さん
村田さん
「手櫛」に反省
遺跡名称二ッ森貝塚
所在地青森県上北郡七戸町字貝塚家ノ前地内
公開時間9:00~17:00(冬期間は公園閉鎖)
交通アクセス上北町駅(青い森鉄道線)から車で約10分/七戸IC(東北自動車道)から車で約6分/二ツ森貝塚館から車で約3分
資料館名称二ツ森貝塚館
所在地青森県上北郡七戸町字鉢森平181-26
電話番号0176-68-2612
開館時間10:00~16:00
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)/祝・休日の翌日/年末年始(12月27日~1月4日)
入館料無料
交通アクセス上北町駅(青い森鉄道線)から車で約10分/七戸IC(東北自動車道)から車で約5分
関連サイトhttps://www.shichinohe-kankou.jp/futatsumorikaizuka/

『是川石器時代遺跡』赤い漆器が大量出土

是川石器時代遺跡(これかわせっきじだいいせき)は、縄文時代(紀元前4,000年~300年頃)の集落遺跡。縄文晩期を中心とする「中居遺跡」、縄文前期・中期の「一王寺遺跡」、縄文中期の「堀田遺跡」の3つの遺跡を総称して是川遺跡とよびます。

とくに中居遺跡(紀元前1,000年~300年頃)からは、きわめて状態の良い色鮮やかな赤色の漆器が多数出土し、考古学者、考古学ファンの間では高く評価されています。出土品633点が国の重要文化財に指定されています。

水場遺構では、沢水を利用してトチの実のアク抜きなどの「調理」をしていた形跡がありました。石器や土器はもちろんのこと、赤や黒の漆で仕上げた木製の腕輪や耳飾り、櫛なども出土し、是川縄文館で公開されています。

中居遺跡の出土品は、縄文晩期に東北地方一帯に広がった「亀ヶ岡文化圏」の貴重な資料となっています。

Ruby
Ruby
江戸時代から「亀ヶ岡物」として滝沢馬琴らに愛された洗練されたデザインですね!

「ミネルヴァ論争」とは、1936年、雑誌「ミネルヴァ」の誌面上で、考古学者の山内 清男氏(1902~1970)と喜田 貞吉氏(1871~1939)の間で発生した学術論争のこと。

東北地方における縄文時代の終期についての見解が争点でしたが、この論争に是川遺跡(堀田遺跡)から出土した「宋銭」が登場します。以下は発言の趣旨です。

山内先生
山内先生
東北地方の縄文式末期(亀ヶ岡式)に併行するのは、関西の弥生式でも古墳時代でもなく、やはり縄文式であり、東北地方の縄文式の終期は地方によって大差はない。
喜田先生
喜田先生
いやいや、そんなことはない。岩手県の平泉で、絢爛たる京都文化が移入していた時期に、そこから二十里隔たった東北の山間部では、亀ヶ岡式土器を制作使用する石器時代人が暮らしていたのだから。

日本において宋銭の流通が本格化したのは12世紀後半なので、現在の八戸ではその時代まで縄文時代(=石器時代)が続いていたというのが、喜田氏の言説のようですね。ちなみに平泉の中尊寺金色堂が完成したのは1124(天治元)年です。

「ミネルヴァ論争」はとても興味深いのですが、これについて語るとますます長い記事になってしまいますので、詳しくは函館市史をお読みください。

遺跡名称是川石器時代遺跡
所在地青森県八戸市是川
交通アクセス八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館から徒歩で約5分
備考2021.6現在整備中
資料館名称八戸市埋蔵文化財センター・是川縄文館
所在地青森県八戸市是川字横山1
電話番号0178-38-9511
開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日月曜日(祝・振替休日の場合は翌日)/祝・振替休日の翌日(土・日曜日、祝日の場合は開館)/年末年始(12月27日~1月4日)
入館料大人250円 高校・大学生150円 小・中学生50円
ガイドボランティアガイド(無料、日本語・英語)1週間前までに要予約/音声解説アプリ「ポケット学芸員」(※スマートフォンに対応)
交通アクセス八戸駅(JR東北新幹線)から車で約15分/南部バス「是川縄文館」/八戸IC(八戸自動車道)から車で約10分
関連サイトhttps://www.korekawa-jomon.jp

『伊勢堂岱遺跡』環状列石が4つ揃う!

『伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)』は、縄文時代後期前葉(約4,000年~3700年前)の4つの環状列石(ストーンサークル)を主体とする祭祀遺跡です。

隣接して4つもの環状列石が存在している遺跡はほかに例がありません。大きさはいずれも直径30m以上で、最大のものは直径45mにもおよびます。見つかった順にABCDという名がつけられています。

ストーンサークルから少し離れた場所に、立石(りっせき/日時計型組石)が数個あり、この組石の中心からストーンサークルAを見ると、夏至の日に太陽が沈む位置とだいたい一致します。

周囲からは、土偶や動物形土製品など、祭祀・儀礼の道具が多数出土し、死者を埋葬した土坑墓も確認されています。

『伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)』からは、土偶が200点以上出土しましたが、ほとんどは破壊されており、病気や怪我の回復を願って人為的に壊された可能性がありそうです。

遺跡の範囲は20万㎡にもおよび、環状列石には安山岩・ひん岩・流紋岩・凝灰岩など25種類もの川原石が使われています。米代川やその支流の小猿部川(おさるべがわ)から運んだとみられています。

板状土偶北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズ「史跡伊勢堂岱遺跡」より

奇跡的にも完全な形で復元できた『板状土偶』は、伊勢堂岱遺跡のシンボル的存在。

伊勢堂岱遺跡の東側徒歩2分の場所にある『伊勢堂岱縄文館』では、土偶・土器など約300点を展示し、勾玉や土器づくりなどが体験できます。

『伊勢堂岱縄文館』の周囲には、環状列石と白神山地が一望できるスポットや約2千年前の品種の「蓮の花(大賀ハス)」が見られる休耕田もあります。

遺跡名称伊勢堂岱遺跡
所在地秋田県北秋田市脇神字伊勢堂岱
交通アクセス伊勢堂岱縄文館隣接
ガイドボランティアガイド(所要時間約30分以上、無料、日本語)14日前までに要予約
公開時間9:00~17:00(入園は16:00まで)
閉鎖期間冬期閉鎖(11月~4月下旬)伊勢堂岱縄文館が休館のとき
資料館名称伊勢堂岱縄文館
所在地秋田県北秋田市脇神字小ヶ田中田100-1
電話番号0186-84-8710
開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日月曜日(祝・休日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
入館料無料
ガイドボランティアガイド(所要時間約20分、無料、日本語)
交通アクセス縄文小ケ田駅(秋田内陸縦貫鉄道線)から徒歩で約5分/伊勢堂岱IC(秋田自動車道)から車で約5分
関連サイトhttps://www.city.kitaakita.akita.jp/isedotai

『大湯環状列石』日本最大級のストーンサークル

https://twitter.com/garicovenant/status/1397863939220938756

『大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)』は、縄文時代後期前半(紀元前2,000年~ 1,500年頃)の大型の配石遺跡。

約130mの距離をおいて東西で向かい合う「野中堂(最大径44m)」と日本最大規模の「万座(最大径52m)」の2つの環状列石で構成されています。縄文人たちが約200年以上にわたり造り続けていたと考えられています。

野中堂環状列石の中心から万座環状列石の中心、そしてそれぞれの立石(りっせき/メンヒル)を一直線に結んだ線は夏至の日没方向と一致します。ちなみに「立石」は「日時計様組石」とよばれています。

『大湯環状列石』の目的は諸説ありますが、それぞれの配石遺構の下から副葬品をともなう土坑(人間が掘った穴)が検出されたため大規模な共同墓地だとする説が有力。

また、万座列石の周辺には、掘立柱(ほったてばしら)建物跡群が巡らされていたことが明らかで、これらは墓地に附属した葬送儀礼に関する施設だと考えられています。

『大湯環状列石』の北東には黒又山(標高280.6m・通称:クロマンタ)があり、大湯環状列石からは「完璧な三角形」に見えます。

アイヌの言葉「クル・マクタ」は、「神の山」「神々のオアシス」という意味があるらしく、「黒又山」の由来だと考えられています。

Ruby
Ruby
もちろんこの山、マニアの間では『日本最古のピラミッド』と考えられています。UFOの目撃例も多いようですよ。

「鹿角不思議研究所」さんのブログから引用。日本画家の鳥谷幡山(とや ばんざん/1876~1966)氏が黒又山に現れた「光る物体」を絵にしたもの。タイトルは「天象之奇端 光芒之旗幟」。

昭和17年の作品のようですが、すでに「ピラミッド黒又山」と断定していますね。

1992年から1994年の考古学調査で「地中レーダーによって、黒又山の地下に石で造られた数段のテラス状の構造が確認されている」という結果が出たのは確かなので、UFOの基地でなくても、古代の人が山に手を加え「祭祀の場」にしていたことは間違いないと考えられます。

大湯環状列石出土品北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズ「特別史跡大湯環状列石」 より

「大湯環状列石」では、キノコの形の土製品をはじめ、日用品でないものも多数出土しています。「大湯ストーンサークル館」で公開されています。

なお、「大湯環状列石」には、縄文時代の雰囲気を満喫できるよう、説明看板などはありませんので、ガイドを依頼されることをおすすめします。大湯ストーンサークル館でも、土器や勾玉作りが体験できます。

遺跡名称大湯環状列石
所在地秋田県鹿角市十和田大湯字万座
交通アクセス大湯ストーンサークル館隣接
ガイドボランティアガイド(所要時間約30分、無料、日本語)10日前までに要予約
見学時間4月~10月9:00~17:30・11月9:00~16:00(月曜日は閉鎖)
閉鎖期間冬季閉鎖(11月中旬~4月中旬)
資料館名称大湯ストーンサークル館
所在地秋田県鹿角市十和田大湯字万座45
電話番号0186-37-3822
開館時間4月~10月9:00~18:00・11月~3月9:00~16:00
休館日11月~3月の月曜日(祝・休日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
入館料大人320円 小・中学生・高校生110円
ガイドボランティアガイド(所要時間約30分、無料、日本語)10日前までに要予約
交通アクセス鹿角花輪駅(JR花輪線)から車で約25分/秋北バス「大湯環状列石前」/十和田IC(東北自動車道)から車で約15分
関連サイトhttps://www.city.kazuno.akita.jp/

『御所野遺跡』リアルな縄文のムラを再現

『御所野遺跡(ごしょのいせき)』は、縄文時代中期後半(紀元前2,500年~2,000年頃)の大規模集落遺跡です。

集落の中心部に配石遺構や墓などの墓域が造られ、その周囲に竪穴建物や掘立柱建物が取り囲む集落構造になっています。

樹皮葺き建物、土屋根建物、掘立柱建物と復元住居も充実。散策しているだけで縄文時代にタイムスリップできる楽しい遺跡です。御所野遺跡の出土品は、「御所野縄文博物館」で公開されています。

御所野縄文博物館の「第一展示室」では、ガラス張りの床下に約4,000年前に焼失した住居の出土状況を展示しています。「第二展示室」では、大迫力の150インチの巨大スクリーンとプロジェクションマッピングで縄文ムラの様子を再現。「第三展示室」では、蒔前(まくまえ)遺跡や山井遺跡について紹介しています。当面は事前予約制になりますが、勾玉や土器づくりも体験できます。

遺跡名称御所野遺跡
所在地岩手県一戸町岩舘字御所野
交通アクセス御所野縄文博物館隣接(御所野縄文公園内)
ガイドボランティアガイド(所要時間約40分、無料)5月~10月の土曜、日曜、祝・休日の受付時間9:30~15:30(事前予約不要)・11月~4月及び平日の場合は1週間前までに要予約
資料館名称御所野縄文博物館
所在地岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野2
電話番号0195-32-2652
開館時間9:00~17:00
入館料大人300円 大学生200円 高校生以下無料
ガイド御所野ガイドアプリ(※スマートフォンに対応)/館内受付にてタブレットの貸出も可
交通アクセス一戸駅(IGRいわて銀河鉄道線)から車で約5分/岩手県北バス「御所野縄文公園」
関連サイトhttps://goshono-iseki.com/

『鷲ノ木遺跡』『長七谷地貝塚』(関連資産)

『鷲ノ木遺跡』保存状態きわめて良好

『鷲ノ木遺跡』は、縄文時代後期前半(約4,000年前)の環状列石と竪穴墓域、竪穴住居等で構成されています。

環状列石の外環は36.9m×33.8m。中心に配石があり、30〜40cmサイズの石が外環と内環の二重に並べられています。石の数は602個。環状列石の規模は北海道内では最大で、全国的にみても第三位です。

江戸時代に噴火した駒ヶ岳の火山灰に厚く覆われていたため保存状態はきわめて良好。年に数回「森町遺跡発掘調査事務所」で出土品の見学会があり、森町のホームページで告知されます。事前予約制。森町教育委員会 社会教育課(01374-2-2186)。

遺跡名称鷲ノ木遺跡
所在地北海道茅部郡森町字鷲ノ木町
交通アクセス森町遺跡発掘調査事務所から車で約15分
ガイド見学会開催時に解説(日本語)
資料館名称森町遺跡発掘調査事務所
所在地北海道茅部郡森町字森川町292-24
電話番号01374-3-2240
開館時間9:00~16:00
休館日土曜日、日曜日、祝・休日、年末年始(12月30日~1月5日)
入館料無料
交通アクセス森駅(JR函館本線)から車で約5分・森IC(道央自動車道)から車で約2分
関連サイトhttps://www.town.hokkaido-mori.lg.jp/bunya/kyodo/

『長七谷地貝塚』漁労文化が発達

『長七谷地貝塚(ちょうしちやちかいづか)』は、縄文時代早期(紀元前6,000年頃)の貝塚を中心とする集落遺跡。

朝顔形で底が尖り、内外面に縄文がみられる「赤御堂式土器」を中心とする遺跡ですが、組合せ式の釣り針や銛頭(もりがしら)など釣りに関する骨角器も多数出土し、漁労活動が非常に活発であったことがわかります。

「長七谷地貝塚」の出土品は、八戸市博物館で公開されています。

遺跡名称長七谷地貝塚
所在地青森県八戸市桔梗野工業団地
交通アクセス陸奥市川駅(青い森鉄道線)から徒歩で約25分/八戸市営バス「車検登録事務所」下車徒歩で約3分/八戸北IC(八戸自動車道)から車で約8分
資料館名称八戸市博物館
所在地青森県八戸市大字根城字東構35-1
電話番号0178-44-8111
開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日月曜日(祝・振替休日の場合は翌日)・祝・振替休日の翌日(土・日曜日、祝日の場合は開館)・年末年始(12月27日~1月4日)
入館料大人250円 高校・大学生150円 小・中学生50円
ガイド受付職員ガイド(無料、日本語)常設展示解説(所要時間最大60分、予約不要)
交通アクセス八戸駅(JR東北新幹線)から車で約10分/南部バス「根城(博物館前)」下車/八戸IC(八戸自動車道)から車で約10分
関連サイトhttps://hachinohe-city-museum.jp/

今回は「祝!世界遺産登録決定!」ということで、三内丸山遺跡や大湯環状列石など『北海道・東北の縄文遺跡群』に属する17の素晴らしい古代遺跡と、2つの関連資産の魅力をたっぷりご紹介しました。

現在より多少は暖かかったとはいえ、冬は極寒の北海道や東北で、食べていくだけではなく、天国へと旅立った仲間を弔い、犬を飼い、女性はブレスレットやネックレスをつけてお洒落をしていました。

案外私たちと同じように毎日の生活を楽しんでいたのではないでしょうか。

7月には世界遺産の仲間入りをする『北海道・東北の縄文遺跡群』。現在、遺跡や関連施設もどんどん整備されています。

直接縄文人文化に触れ、縄文人をもっと身近に感じてみたいと思います。