今回は、邪馬台国の女王・卑弥呼が「魏」から授かったと伝わる「銅鏡百枚」の一部が出土したとされる大阪府高槻市の「安満宮山古墳(あまみややまこふん)」をご紹介します。
お盆とお彼岸以外は、最寄りのバス停から急な坂道を25分ほどのぼることになりますが、安満宮山古墳は、とても見晴らしの良い山の中腹にあります。なお、駐車場はありますので、ドライブにはおすすめですよ。
※ 管理人が安満宮古墳を訪れたのは、2020年3月です。
安満宮山古墳に眠っていた人は?卑弥呼ゆかりの人?
「安満宮山古墳」は、大阪府高槻市安満御所の町(あまごしょのちょう)の公園墓地のなかにある古墳です。
今回ご紹介する「青龍三年の丘」で公開されているものは、一辺約20mの長方形墳です。
青龍三年の丘は、安満山(あまやま)の中腹、標高125m地点に位置します。3世紀後半、ちょうど邪馬台国の時代に築造されたと考えられています。
安満山はパワースポット!
ここ安満山は、古来より「聖なる地」と考えられてきました。今でいえば「パワースポット」ですね。そして、パワースポットには「古墳」がつきもの。
安満山一帯にも、3世紀後半から7世紀にかけて築造された40基余りの古墳群が発見され、「安満宮山古墳群」と称されています。
また、安満山、南西の山麓には、666(天智天皇5)年に創建された安満の鎮守、「磐手杜神社(いわてもりじんじゃ)」が鎮座しています。この神社には、1195(建久6年)年、後鳥羽天皇が参拝したとの記録が残されています。
安満山は、「磐手杜神社の神域」ということになります。
安満宮山古墳群からは貴重な出土品がザクザク!
1966(昭和44)年、公園墓地の造成のために、この地を調査したところ、40基以上の「横穴式石室」を持つ円墳が見つかりました。
堤瓶(ていへい/現在の水筒)や高杯(たかつき/お供え物の器)などの土器、紡錘車(ぼうすいしゃ/糸を紡ぐための道具)、金環(装身具)、ガラス玉、馬具のかけらなどが、多数出土しています。
さらに、1997(平成9)年の発掘調査では、青銅鏡5面、1,600個以上のガラス小玉、刀、斧などの鉄製品が出土しました。
青龍三年の丘にあるガラスシェルター内には、当時の埋葬の状態が忠実に再現されています。
景初3(西暦239)年に、『「魏」は卑弥呼に「金印」や「銅鏡百枚」などを贈った』と古代中国の歴史書「魏志倭人伝」に記されているのですが、その銅鏡の一部が、ここ、安満宮山古墳から出土した銅鏡だといわれています。※ 景初4(西暦240)年という説もあります。
上の写真は、青龍三年の丘に展示してあるレプリカなのですが、この安満宮山古墳からは、「青龍三年」の銘を持つ「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)」が出土しています。レプリカとはいえ、古代の技法で鋳造されています。
「青龍三年」というのは、魏の年号であり、西暦になおせば235年にあたります。つまり、卑弥呼が魏に朝貢した4年ほど前に造られたものだということになりますね。
この「方格規矩四神鏡」は、日本で出土した銅鏡なかでは、最古の年号が入ったものです。
方格規矩四神鏡は、ここでは「2号鏡」とされています。
現地の解説には、「方格(中央の正方形)内に十二支を、その外周に「青龍」「朱雀(すざく)」「玄武」「白虎」の四神を配置し、地上界を天空の神々が守る、秩序だった世界観をあらわしています」と書かれています。
被葬者は、桧尾川・檜尾川(ひおがわ/大阪府高槻市を流れる淀川水系の一級河川)流域にあった集落の有力者であるとされています。
安満宮山古墳からは、三角縁神獣鏡まで出土
こちらも管理人が撮影したレプリカなのですが、安満宮山古墳では、「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が、「青龍三年銘方格規矩四神鏡」と一緒に出土しています。
三角縁神獣鏡は、「1号鏡」と名付けられています。素材は、銅、錫(すず)、鉛の合金製。
現地の解説には「鏡の裏側には、古代中国の宇宙観、世界観にもとづく神像や霊獣などがあらわされ、立身出世や子孫繁栄を願う銘文が記されています」「神獣鏡は、『東王父』『西王母』など、神仙思想にもとづく神々と霊獣を配置し、不老不死への願いを託した鏡です」と書かれています。
※ 「東王父」は、蓬莱山(ほうらいさん)に住む仙人で、仙人の頭。「西王母」は、崑崙 (こんろん) 山に住む不老不死の薬をもつ仙女。
三角縁神獣鏡が畿内を中心に出土することから、卑弥呼の鏡説をとるのは邪馬台国=畿内説をとる研究者に多かった。彼らの中には、三角縁神獣鏡を、卑弥呼の遣使を記念して呉の工人などに日本で作らせたものだと主張するが、邪馬台国=九州説を主張する研究者は、三角縁神獣鏡全体が魏の年号が記されてはいるが後世の偽作物であるとしている。(角縁神獣鏡-wikipedia)
「邪馬台国畿内説」を主張する研究者たちは、邪馬台国と関係があるとされる「三角縁神獣鏡」が安満宮山古墳から出土したことを、言説の根拠にしています。
安満宮山古墳では、魏への朝貢をわかりやすく紹介
安満宮山古墳では、お子さんにも伝わるように邪馬台国の女王・卑弥呼の朝貢を、わかりやすくパネルで紹介しています。
安満宮山古墳からは大阪平野や淀川を見下ろすことができる!
安満山の中腹にあるため、視界の大部分は樹木で遮られていますが、麓には安満遺跡、紅茸山(べにたけやま)古墳群、桧尾川(≒淀川)、さらにその先には、梅田スカイビル、京橋の大阪ビジネスパーク、大阪城、生駒山まで見渡せる(はず)です。
40km先の「奈良箸墓古墳」は、邪馬台国の有力候補地「纏向遺跡(まきむくいせき)」のなかにある古墳で、三輪山の神「大物主(おおものぬし)」の妻である「倭迹々日百襲姫命(やまとももそひめ)」の墓とされています。
「邪馬台国」と年代が合致し、巫女であったことから、日百襲姫こそが「卑弥呼」なのではないかという説もあります。
安満宮山古墳の出土品、国の重要文化財に指定される!
地味だけれど、日本の古代史を解明するうえで貴重な資料となる「安満宮山古墳」の出土品は2000(平成12)年6月に国の重要文化財に指定されました。
銅鏡などの安満宮山古墳の出土品は「今城塚古代歴史館(いましろつかこだいれきしかん)」に展示されています。
名 称 | 今城塚古代歴史館 |
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住 所 | 大阪府高槻市郡家新町48番8号 |
電話番号 | 072-682-0820 |
営業時間 | 10:00~17:00 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌平日)・年末年始 |
入館料 | 無料(特別展・企画展は有料) |
交通アクセス | JR摂津富田駅より市営バス「南平台経由奈佐原」行き、「今城塚古墳前」下車 |
関連サイト | http://www.city.takatsuki.osaka.jp/ |
安満宮山古墳のアクセス・基本情報
「安満宮山古墳・青龍三年の丘」は、公園墓地のなかにあり、断然車が便利です。ちなみに駐車場は、十分用意されています。
徒歩の場合は、JR高槻駅(南のりば/阪急百貨店側ではなく、松阪屋側・6番乗場(要確認))または阪急高槻市駅から市営バス〈32・上成合〉〈33・川久保〉行きで「磐手橋」下車、徒歩25分(1.4km)。
バスは1時間に3本程度あります。途中、急な坂道がありますので、覚悟ください。
お盆とお彼岸の期間には「墓参臨時バス」があり、安満宮山古墳のすぐそばまでバスで行くことができます。お問い合わせは、高槻市・市民生活環境部(072-674-7192)まで。
なお、開門時間は9:00~17:00となり、年末年始(12月29日~1月3日)は見学できません。
名称 | 安満宮山古墳・青龍三年の丘 |
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住所 | 高槻市安満御所の町 |
電話番号 | 今城塚古代歴史館(072-682-0820)・高槻市立埋蔵文化財調査センター(072-694-7562) |
開館時間 | 9:00~17:00 |
休館日 | 12月29日~1月3日 |
今回は「安満宮山古墳・青龍三年の丘」をご紹介しました。古代中国の魏時代のものとされる「青龍三年銘方格規矩四神鏡」が出土したことから、ここに眠る有力者は、卑弥呼ゆかりの者であった可能性が高いとされています。
邪馬台国の卑弥呼は、北九州の人なのか、奈良の人なのか、それとも、どちらでもないのか…? みなさんは、どう思われますか?