私たちは『岡寺』と『飛鳥寺』をまわった後、『天武・持統陵』を見学し、徒歩で『高松塚壁画館』へと向かいました。
飛鳥(明日香)レポート③では、『高松塚古墳壁画館』を中心にご紹介します。
『高松塚古墳壁画館』では、高松塚古墳の内部で発見された壁画(通称:飛鳥美人)の原寸、原色の模写や、発掘された副葬品の精巧なレプリカ等を見ることができます。
高松塚古墳は外から見るだけではもったいないので、ぜひ隣接する『高松塚古墳壁画館』にも足を延ばしてください。
※取材は2021年4月4日(日)でした。
※『高松塚壁画館』では、内部の写真撮影は許可されていません。そのため、説明にはリーフレットの写真を使っています。
『天武・持統天皇陵』から『高松塚古墳』までは「鬼の俎(まないた)&鬼の雪隠(せっちん)」経由が近道
「天武・持統天皇陵」から「高松塚」まではバスで約2分。ここも「1時間に1本」となりますので、亀バスフリー乗車券利用の方は、歩くことになりそうです。
県道209号線(野口平田線)がバスのルートなのですが、徒歩の場合は「鬼の俎」「鬼の雪隠」を経由して、農道を使う方が少し近道になりそうです。
詳しくはグーグルマップや現地で入手する地図をご覧くださいね。
『高松塚壁画館』では何が見られる?
『高松塚壁画館』は高松塚古墳のすぐそばにあります。
ただし、「高松塚のバス停」は、野口平田線(県道209号線)沿いにあり、バスを利用する場合は、このバス停から5~6分ほど歩くことになります。
岡寺と岡寺前(バス停)ほどではありませんが、少し遠く感じるかもしれません。山の中腹にある岡寺とは違い平坦な道なので、歩くこと自体は楽ですよ。
参照元(奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット):http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/
「高松塚壁画館」は、平屋の小さな建物です。
ここでは「高松塚古墳」で発掘された壁画の原寸、原色の模写と、副葬品や石棺のレプリカ等を展示しています。
予備知識がまったくない人でも、「高松塚壁画館」を見学しただけで、『高松塚古墳』の全貌がおおむね理解できるようになっています。
「高松塚壁画館」の展示品(模写やレプリカ)は以下のようなものです。
- 四神の図(青龍/東 ◇ 白虎/西 ◇ 玄武(亀&蛇)/北)※朱雀/南(?)は盗掘で消滅
- 日像(青龍の上) ◇ 月像(白虎の上)
- 人物群像(「男性4人と女性4子の8人グループ」が東西の壁に「合計で16人」いる)
- 副葬品(海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう) ◇ 銀荘唐様太刀(ぎんそうからようたち)の外装具 ◇ ガラス、コハク製の玉類 ◇ 棺を飾っていた金銀製透かし飾り金具 ◇ 円形櫛金具 ◇ 銀製角釘(かどくぎ))
- 星宿図(せいしゅくず) ◇ 天井石の中央約1m四方に描かれたもの。直径9mmほどの円形の金箔を赤い線で結び星座を表現している。東西南北7宿ずつで合計28宿。(「二十八宿」とは、天球を28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。)
飛鳥美人の「発見当初そのままの姿を忠実に模写したもの」や、「剝がれや汚れ等がない状態を再現したもの」を見ることができます。
『高松塚古墳』の基礎知識
高松塚古墳が発見された背景
『高松塚古墳』は、藤原京期(694~710年)に築造された古墳です。
1972年3月21日、古墳の壁に描かれていた極採色の「飛鳥美人」が発見されたときは、「考古学史上最大のスクープ」として、さまざまなメディアに取り上げられました。壁画は国宝に指定されています。
発掘作業自体は1970年10月頃、ショウガの貯蔵用の穴を掘っていた村人が、「古い切石」を見つけたことからスタートしました。
残念なことに、高松塚古墳は鎌倉時代頃に盗掘され、石室の南壁が壊されていました。
『高松塚古墳』は、直径23m(下段)および18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳で、石室の内法寸法は南北の長さが約265cm、東西の幅が約103cm、高さが約113cmとなっています。
被葬者は40代~60代の熟年男性で、現在のところ特定されてはいませんが、天武天皇の皇子説や朝鮮半島系の王族説など、諸説あります。
気になる「高松塚」の名前の由来なのですが、江戸時代の絵図には墳頂に一本の松が描かれており、実際、この松の根の痕跡らしきものが古墳の断面で確認されています。
この松が高松塚古墳の名前の由来であると考えられ、地名ではありません。
なお、江戸時代は、高松塚古墳の被葬者は文武天皇(683~707年)だと考えられていたようです。
16人もの『人物群像』がそれぞれ手にしているものはどんなもので、彼らはいったい何者なのか?
16人の男女はさまざまな道具(持ち物)を手にしています。
今では見かけない道具も多いので、当時の貴族の生活を知るために一つ一つ簡単に説明します。
西壁(右端の女性→左端の男性)
- 如意(にょい)・・僧がお経を唱えるときに持つ長さ30センチほどの棒
- 団扇(だんせん)または翳(さしば)・・羽毛などで作られた柄付きの大扇・貴人の顔を隠すもの
- 毬杖(ぎっちょう)・・木製の毬(まり)を相手陣に打ち込む遊びに使う杖
- 鞄・・首から掛けるタイプ
- 武具・・赤い袋に入れ肩にかついでいる
- 胡床(こしょう)・・折り畳み式の椅子
東壁(右端の女性→左端の男性)
- 払子(ほっす)・・蚊や蠅などの虫を殺さずに追い払うために使用していた道具。現在は仏具
- 団扇(だんせん)または翳(さしば)
- 大刀・・袋に入れ肩にかついでいる
- 鞄・・首から掛けるタイプ
- 蓋(きぬがさ)・・日傘。深緑のものは、養老令(757年)では一位の太政大臣級の官僚のみに許されていた
- 鞄・・首から掛けるタイプ
人物群像の持ち物は、平安時代初期に編纂された『貞観儀式(じょうがんぎしき/朝廷儀式の次第を詳述したもの)』に記されている天皇の「元日朝賀の儀式」に列する官人の持ち物と一致します。
この「元日朝賀の儀式」には日月・四神の幡も立てられました。
高松塚古墳と同時代のキトラ古墳にも、四神や天井の天体図は描かれていましたが、人物群像の壁画はありませんでした。このような「元日朝賀の儀式」の壁画が見つかったのは、現在のところ高松塚古墳のみです。
これについては、哲学者の梅原 猛氏が興味深い仮説を立てています。
南壁に描かれていたはずの「朱雀」が壊されており残念ですが、人物群像の服装は、現代人の感覚でも「美しい」と感じられる色使いでした。
ただし、人物群像は意外に小さく、せいぜい4~50センチくらいの大きさだと思われます。
岸 俊男氏の「宮都と木簡」によると、女子群像の服装は、高句麗古墳群の「愁撫塚」や「舞踊塚」の壁画の婦人像の服装と似ているそうです。
中国吉林省集安市(きつりんしょうしゅうあんし)の「舞踊塚」は、石室全体が壁画で埋め尽くされ、5世紀前半の高句麗の風俗を現在に伝える貴重な資料だとのこと。
「高松塚壁画館」の「飛鳥美人」は模写とはいえ、実物を忠実に再現していて、とても綺麗です。ぜひご自分の目でご確認くださいね。
「高松塚古墳」は「高松塚壁画館」のすぐ近くにあります。
高松塚古墳周辺ののどかな田園風景。遠くにちらほら見えるピンク色は半分ほど散った桜です。
高松塚古墳も飛鳥(明日香)レポート④でご紹介するキトラ古墳も、古墳自体はただの綺麗な小山にしか見えませんので、ぜひ『高松塚壁画館』と『キトラ古墳壁画体験館・四神の館』まで足を延ばしてください。
スポット名 | 高松塚壁画館 |
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所在地 | 奈良県高市郡明日香村平田439 |
電話番号 | 0744-54-3340 |
開館時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで) |
定休日 | 12月29日~1月3日 |
料金 | 大人300円/高大生130円/小中学生70円 |
公式サイト | http://www.asukabito.or.jp/hekigakan.html |
学芸員 | 常駐(月曜日と金曜日はボランティアガイド)※現在はコロナの為中止 |
長居必須のレトロでおしゃれなカフェ『珈琲館 御園(みその)』
高松塚壁画館とJR飛鳥駅は徒歩で15分程度。駅の近くには『珈琲館 御園(みその)』というカフェがあります。
木を多用したレトロな内装で、とても落ち着きます。サイフォンで淹れた本格コーヒーが大人気。
サンドイッチやワッフル、ケーキ、ぜんざい、抹茶など、「カフェメニュー」のみですが幅広いメニュー展開。
モーニングの食パンがフワフワでボリュームたっぷりだと評判です。
10台分の駐車場があり、喫煙可能。(2021年4月現在)
店名 | 珈琲館 御園(みその) |
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所在地 | 奈良県高市郡明日香村御園1-1 |
電話番号 | 0744-54-3386 |
営業時間 | 7:30~18:00 |
定休日 | 第2・4金曜 |
交通アクセス | 近鉄「飛鳥駅」下車徒歩2分(国道169号線沿い)※駐車場10台分 |
公式サイト | https://coffeemisono.wordpress.com/ |
今回は、高松塚古墳の壁画の模写や石棺、副葬品の忠実なレプリカが見学できる『高松塚古墳壁画館』をご紹介しました。
『高松塚古墳壁画館』に訪れるだけで、飛鳥美人で知られる高松塚古墳の全貌がわかります。
次の飛鳥(明日香)レポート④では、『キトラ古墳壁画体験館・四神の館』を中心にご案内します。