「飛鳥(明日香)レポート②」では、花の寺として名高い『岡寺』と飛鳥大仏で知られる『飛鳥寺』をご紹介します。
11時1分に「石舞台」のバス停留所に到着した私たちは、「石舞台」を拝観後、「夢市茶屋」というレストランでゆ~っくりランチタイムを取り、11時58分発はもちろん、13時2分発の亀バスにも乗り遅れてしまいました。
とはいえ、次の目的地「岡寺前」は「石舞台」の隣の停留所で、バス移動の所要時間はわずか2分。なんだ、徒歩でも十分行けるじゃん!
もちろん13時58分発のバスを待たずに、「岡寺」まで徒歩で向かいましたが、後日、驚きの事実が発覚しました。
※ レンタサイクルで周る予定の方は、細か~い所要時間の話などは適当にスルーしてくださいね♪
※ 取材は2021年4月4日(日)です。
要注意!岡寺は『近鉄岡寺駅』から徒歩1時間、『岡寺前バス停』からは徒歩5~10分???
後日発覚したことなのですが、「岡寺前」のバス停留所と「岡寺」は結構距離があります。
ちなみに「岡寺」の最寄り(?)の駅は「近鉄岡寺駅」で、この駅から「岡寺」まで歩くとすれば1時間弱位くらいかかるそうです。なぜこのような紛らわしい駅名が付いているのか謎ですね。
岡寺の公式サイトにも「近鉄・岡寺駅には、バス・タクシーなどがなく、徒歩ですと1時間弱かかってしまいますので『近鉄・橿原神宮前駅』または『近鉄・飛鳥駅』をご利用下さい」と注意がありました。間違って近鉄岡寺駅で降りてしまう人が多いからでしょう。ご注意くださいね。
ちなみに「岡寺駅」は、橿原神宮前駅と飛鳥駅の間にあります。
もちろん、「亀バス」を利用する場合、「岡寺」の最寄りのバス停は「岡寺前」となりますが、「前」というほど岡寺の「目の前」にあるわけではなく、それなりに距離があります。
「岡寺前(バス停留所)」から「岡寺」までの距離は?
- 5分(岡寺で拝観券を販売していた女性の発言)
- 5~10分(岡寺の公式サイト)
- 430m(「岡寺前(バス停)」のすぐ近くにある鳥居(参道入口)の横の表示)
- 10分(奈良交通のバス路線マップ)
- 700m(行き11分・帰り8分)(グーグルマップ)
個人差があり、おまけに坂道なので、所要時間にある程度差が出てくるのは仕方がないのかもしれませんね。
私たちは石舞台から岡寺に向かいましたので、「桜井明日香吉野線(県道15号)」を使いました。
途中左手に「岡寺はこちら」という小さな看板がありますので、そこから参道に下ります。石舞台から岡寺までの所要時間は徒歩で17~18分です。
左の鳥居が岡寺参道の入り口、15mほど向こうに見えるのが「岡寺前」のバス停です。石舞台方面から徒歩(や自転車)の場合、私たちのように県道15号を使っても、この参道から入っても、所要時間は同程度のようです。
「近鉄岡寺の駅」から岡寺までは徒歩不可能(ただし健脚は除く)。駅前からタクシーなどの交通機関もないのでご注意ください。「岡寺前のバス停」は、正確にいえば「岡寺参道前のバス停」であり、帰り(下り)でも8分くらいはかかります。
岡寺はとても歴史のあるお寺だった!
『岡寺』は、明日香村の東部にある「岡山」という小さな山の中腹に位置する古いお寺。とても見晴らしの良い場所にあります。
どのくらい古いのかといえば、創建は今から約1300年前だそうです。ただし、飛鳥時代はここではなく、飛鳥板蓋宮にあったと寺伝に残されています。
飛鳥板蓋宮は「乙巳の変(いっしのへん)」が起こった飛鳥京の中心地でしたね。
古来から『岡寺』という名で親しまれてはいますが、正式名称は『東光山 真珠院 龍蓋寺(りゅうがいじ)』で、西国三十三所観音霊場の第七番札所として、古くから善男善女の信仰の対象となってきました。
岡寺の創建と歴史
「岡寺」の開祖は、義淵僧正(ぎえんそうじょう)です。
寺伝によると、義淵(ぎえん)は、昔この地で暮らしていた夫婦が観音様に願ったことで生を受けた子どもで、のちに天武天皇に引き取られ、草壁皇子(くさかべのみこ)と一緒に岡本宮で育てられたとされています。
岡本宮(飛鳥板蓋宮)の地を与えられた義淵はそこに「龍蓋寺」を建立し、703年に、日本初の『僧正』に任命されました。そして728年の入滅まで、日本の仏教界に多大な影響を与え続けたとされています。
『龍蓋寺』という寺名は、昔、田畑を荒らして農民を苦しめていた悪い龍を、義淵僧正(ぎえんそうじょう)が法力で池に沈め、大きな石で蓋をして改心させたことに由来するそうです。
昔岡寺では、『雨乞い』の法要もしていたそうで、田畑を荒らしていた龍の伝説は『やくよけ信仰』の始まりだといわれています。
「花の寺」としても名高い「岡寺」
岡寺の石楠花(しゃくなげ)季節は、4月中旬から5月中旬のゴールデンウィークの時期だそうですが、私たちが参拝した4月4日の時点でも、薄いピンクのしゃくなげが少しだけ咲いていました。
岡寺の境内には、3,000株ものしゃくなげ(石楠花)と数百株の牡丹が植えられており、境内の花々が満開を迎えるゴールデンウィークには、池や手水舎、鉢に天竺牡丹(ダリア)を浮かべ、参拝者たちの目を楽しませてくれます。
開花状況により、開催期間が多少前後するそうなので、お出かけ前に公式facebookか電話で確認しましょう。
また、岡寺は明日香では数少ない「もみじの名所」でもあり、11月の中旬から12月初頭にかけて、境内が真っ赤に染まります。
岡寺のご本尊は「如意輪観音座像(にょいりんかんのんざぞう)」
ここ岡寺には、「日本三大仏」のひとつで、重要文化財に指定されている「如意輪観音座像(にょいりんかんのんざぞう)」が御本尊として祀られています。
日本三大仏とは、
”銅像”の東大寺 毘盧遮那仏(奈良の大仏)
”木像”の長谷寺御本尊 十一面観世音菩薩
”塑像”の岡寺御本尊 如意輪観音菩薩と、古来より言われております。(岡寺公式サイトより引用)※諸説あり
この「如意輪観音座像」の高さは4.85m。土でできた「塑像(そぞう)」としては日本最大の仏様です。
「岡寺大仏」として親しまれてきたこの大仏様が造られたのは「8世紀」とたいへん古く、白いお身体のためか、その大きさ以上に風格とパワーを感じます。
「如意輪観音座像」が安置されている現在の本堂は、1805(文化2)年の上棟(棟上げ)。完成までに30年もの歳月を費やしたとされています。
1月~3月は本堂内で『やくよけ法要』がおこなわれているため、一般の内陣参拝期間は4月~12月となっています。なお岡寺では、ご本尊のカメラ撮影は不可となっていました。
美しさに圧倒される!『三重宝塔』
現在の三重塔は、1984(昭和59)年の「弘法大師千百五十年御遠忌(ごおんき)」を契機に復興に着手し、2001(平成13)年に完成したものです。軒先に吊るされた琴まで、見事に再現されています。
鎌倉時代の初期にすでに三重塔があったことは、『諸寺建立次第』に記されています。当時も琴が吊るされていたのでしょうね。
毎年10月第3日曜日の「開山忌(かいさんき)」には、三重塔の内部の壁画や扉絵が開帳されます。※ 「開山忌」とは、寺院を開創した僧侶(開山上人)のご命日におこなわれる法要のこと。
小峰の中腹にある「岡寺」からは、明日香の村を見渡せます。
「岡寺」にゆかりのある弘法大師をお祀りした『大師堂』
岡寺のご本尊の「岡寺大仏」は、弘法大師が日本・中国・インド三国の土を使って造ったものとされ、それまで御本尊とされていた31.2cmの「如意輪観世音菩薩 半跏思惟像(にょいりんかんぜおんぼさつ はんかしいぞう)」を、大仏の胎内に納めたとされています。
こんばんは。
いま観たい仏像は、
・岡寺/菩薩半跏思惟像京都国立博物館の特別展「聖地をたずねて-西国三十三所の信仰と至宝-」に出展されると思いますので、観に行きます。#仏像ツイオフ pic.twitter.com/vAru2BXmrp
— 小林けんと (@hpIv5uBj8UvMos8) July 18, 2020
公式サイトによると、重要文化財に指定されている「如意輪観世音菩薩 半跏思惟像」は現在、京都国立博物館に寄託されており、岡寺には御分身がおられるそうです。とても可愛らしいお姿ですね。
『大師堂』の建立は昭和初期。お堂の前には大師さまの幼少期のお姿「稚児大師像」と四国巡礼中のお姿「修行大師像」があります。
参拝者は、お子さんの健やかな成長を願い「稚児大師像」(写真左)を、足腰の健康のために「修行大師像」(写真右)を撫でていかれるそうです。
岡寺の御朱印の意味は、「やくよけの観音様のいらっしゃる所」
写真は、ご本尊「如意輪観音座像」の御朱印です。とくに指定がない場合は、この御朱印がいただけます。
2022年3月31日までに参拝された方には、「西国三十三所草創1300年記念」の印を押してもらえます。
(御朱印は)一般に3つの印で構成され、右上に札所番号印、中央に札所御本尊の梵字を刻んだ本尊印(宝印)、左下に札所寺院名印が押され、墨書きがされます。岡寺の場合は『奉拝 厄除大悲殿 岡寺』と墨書きしております。大悲殿とは『大悲』は観世音菩薩をあらわす言葉で、『殿』は観音様がいらっしゃる所、いわゆる本堂の事を示します。岡寺は『やくよけ』の観音様なので古来より『やくよけの観音様のいらっしゃる所』ということで『厄除大悲殿』と書かれています。(岡寺公式HPより)
名称 | 東光山 真珠院 龍蓋寺(岡寺) |
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所在地 | 奈良県高市郡明日香村岡806 |
電話番号 | 0744-54-2007 |
入山時期 | 8:30~17:00(12月~2月は8:30~16:30) |
期間 | 本堂内陣の一般内拝期間は毎年4月~12月※法要や行事のない日のみ |
入山料 | 一般(大学生以上):400円 / 高校生:300円 / 中学生:200円 |
御朱印 | 300円 |
『岡寺前」のバス停から飛鳥大仏の『飛鳥寺』は一本道で約1キロ
「岡寺前」バス停留所から、飛鳥寺までは徒歩約12分(約1km)。飛鳥寺と最寄りのバス停「飛鳥大仏」は、岡寺の場合とは違い「近く」なのでご安心ください。
バスに乗車した場合は、岡寺前→岡戎前→岡天理教前→万葉文化館西口→飛鳥大仏と4つめになります。
隣り合うバス停同士の所要時間はわずか1分。これはもう次のバスを待つよりも歩きますよね。
この界隈は、亀形石造物、史跡酒船石、もともと岡寺があった場所の「飛鳥板蓋宮」など、見所いっぱいのエリアです。
飛鳥寺は日本最古の本格的仏教寺院だった
「飛鳥寺」の現在の名称は「安居院(あんごいん)」なのですが、「飛鳥寺」という名前の方が有名で、リーフレットにも「飛鳥寺」と記載されています。ちなみに創建当時は「法興寺(ほうこうじ)」と呼ばれていました。
飛鳥寺の創建は596年。推古天皇の御代に蘇我 馬子が建立したとされ、当時は本格的な「一塔三金堂式」の伽藍を備えていた日本最初の仏教寺院でした。蘇我 馬子といえば、石舞台古墳の被葬者だとされる豪族でしたね。
「法興寺」は、蘇我 馬子が排仏派の物部 守屋(もののべのもりや)との戦いの勝利を発願したお寺で、寺域は南北293m、北辺215m、南辺260mと広大で、今の飛鳥寺の20倍もの大きさを誇っていたと判明しています。
五重塔を中心に、3つの金堂や講堂、周囲には回廊までめぐらしていたというから驚きですね。
飛鳥寺は、新西国三十三箇所第九番札所で、聖徳太子御遺跡第十一番霊場です。
残念ながら、極彩色の旧伽藍は887年と1196年の落雷による火災で消失してしまいました。これは木造建築の宿命でもありますね。現在の飛鳥寺は、江戸時代の1826年に再建されたものとなります。
御本尊の飛鳥大仏は日本最古の仏像
「飛鳥大仏」として知られる飛鳥寺のご本尊、釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)は、座高275.2cm。前に置かれたガラスケースの中は日本最古の仏舎利です。
少しだけ斜めを向いているのは、聖徳太子が誕生した橘寺の方角を向いているからだそうです。
飛鳥大仏は、609年、推古天皇が、聖徳太子や蘇我馬子らに詔(しょう)して、鞍作鳥(止利仏師)/くらつくりのとり(とりぶっし)に造らせたもので、年代が判明している仏像の中では日本最古のものとなります。※ 飛鳥大仏の撮影は許可されています。
鞍作鳥(くらつくりのとり)は渡来人で、法隆寺金堂本尊釈迦三尊像(623年作)の作者でもあります。それにしても、次々にビッグネームが登場しますね。
早稲田大学文学学術院の大橋一章教授(文学部)らは、飛鳥時代に造立されたものの、火事で損傷したために大部分が鎌倉時代や江戸時代に補修されたものとされている飛鳥寺(奈良県明日香村)の本尊・飛鳥大仏(重要文化財)について、Ⅹ線分析調査を行いました。その結果、造立当初の箇所(左鼻梁、右手第二指甲)と鎌倉時代以降に補修したとされる箇所(鼻下、左襟、左膝上)の銅などの金属組成には際立った差異がみられず、仏身のほとんどが飛鳥時代当初のままである可能性が高いことが判明しました。(早稲田大学HPより)
大部分が室町以降の補修だと考えられていた「飛鳥大仏」は、2012年の早稲田大学のⅩ線分析調査により、仏身のほとんどが飛鳥時代のままである可能性が高いことが判明しました。これにより「国宝指定」も視野に入ってきました。
銅15t、黄金30㎏を用いて作られたとされるこの大仏は、造られた当時は黄金に輝いていたと考えられています。
現在は、お顔も身体も傷だらけですが、1400年もの長い間、創建当時と同じこの場所で、アーモンドのような優しい瞳で微笑み続けてらっしゃいます。
飛鳥寺の『阿弥陀如来坐像』は藤原時代の仏像
飛鳥大仏の向かって右にいらっしゃるのが「阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)」。藤原時代(平安時代後期)の木造の仏像だということです。
こちらもかなり古いものですが、まだまだ金箔が残り、小さめながらも存在感抜群。バラの花のような光背のデザインも優美な印象です。藤原時代の仏像の特徴である丸顔で親しみやすい顔立ちをされてらっしゃいますね。
『聖徳太子孝養像』は太子、十六歳のお姿
飛鳥大仏の向かって左には、木造の「聖徳太子孝養像(こうようぞう)」。こちらは室町時代に造られたものだそうです。
この像は聖徳太子が十六歳の時のお姿で、父「用明天皇」の病気回復を祈願されている姿だそうです。
聖徳太子といえば、旧一万円札のひげを生やしたお顔を思い出しますが、私の想像どおり、とても利発そうな少年でした。おまけにとても親孝行だったのでしょう。
御本尊、飛鳥大仏の御朱印
飛鳥寺西方にあった「槻(つき)の木の広場」は、中大兄皇子と中臣鎌足が初めて出会った場所。二人はここで開かれた「蹴鞠(けまり)の会」(644年)に参加していました。
この翌年、「乙巳(いっし)の変」が起こり、栄華を極めた蘇我氏が滅亡します。つまり、二人がここで出会わなければ、歴史は違っていたでしょう。
また飛鳥寺から徒歩1分の場所には「蘇我入鹿首塚」があります。
ここは飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された蘇我入鹿の首が飛んできた場所で、その首を供養するために五輪塔の首塚を作ったと伝わっています。
名称 | 飛鳥寺 |
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所在地 | 奈良県高市郡明日香村飛鳥682 |
電話番号 | 0744-54-2126 |
拝観時間 | 4月~9月9:00~17:30(受付17:15まで)/10月~3月9:00~17:00(受付16:45まで)※4月7日~4月9日は拝観不可 |
交通アクセス | 奈良交通バス飛鳥大仏前下車徒歩約1分 |
拝観料 | 大人350円、高校生・中学生250円、小学生200円 |
御朱印 | 300円 |
今回は、花の寺として有名な「岡寺」と、日本最古の仏像として知られる飛鳥大仏の「飛鳥寺」をご紹介しました。
ちなみに「飛鳥大仏」のバス停留所は、飛鳥寺のすぐ近くです。私たちははじめて予定通りの14:50発のバス乗車に成功しました。ここから高松塚古墳、キトラ古墳を目指します。
高松塚古墳とキトラ古墳は、飛鳥(明日香レポート)③で!