今回の記事は、大阪府高槻市のパワースポット、標高520mの『本山寺(ほんざんじ)』です。本山寺までの道中と本山寺の境内を中心に、駐車場の情報や3種類ある御朱印などご紹介します。
JR高槻駅方面から本山寺にバス+徒歩で行く場合には、「原立石」か「神峯山寺口」までバスに乗り、「神峯山寺(かぶざんじ)」というお寺を通過していくことになります。
さらに、本山寺を経由して、高槻市の最高峰、標高678.7mの「ポンポン山」へも登ることもできます。
なお、「ポンポン山」へのアクセスは、①神峯山寺・本山寺経由のほかにも、②京都市西京区の善峯寺(よしみねでら)から③高槻市出灰(いずりは)から④大阪府三島郡島本町大沢から釈迦岳の山頂(631m)を経由していく方法など、いろいろあります。
※本山寺の取材は2020年12月5日でした。
本山寺とはどんなお寺なのか?
『本山寺(ほんざんじ)』は、大阪府高槻市にある天台宗の仏教寺院で、京都府との県境に位置します。
本尊は毘沙門天、開山の祖は役小角(えん の おづぬ/役行者)というところまでは、以前ご紹介した神峯山寺と同じ。毘沙門天は、商売繁盛と勝負ごとにご利益があるとされています。
本山寺は神峯山寺(かぶざんじ)の奥の院ともいわれていますが、本山寺の縁起によれば、両寺院は別の寺とのこと。
茨城県日立市に「神峰山(神峯山)/かみねやま」という標高587mの山がありますが、こちらは「かぶざんじ」と読みます。
本山寺の開山と創建について・・・寺伝によると、役小角が葛城山で修行中に北西に紫雲のたなびくのを見て霊験を感じ、北摂の山に来て自ら毘沙門天像を彫り、堂を建てて修験高槻市の道場として開山したのが始まりと伝えられている。その後、宝亀年間(770年頃)に光仁天皇の子・開成皇子が諸堂宇を建立して本格的な仏教寺院として創建したと伝えられている。(Wikipedia『本山寺(高槻市)』)
神峯山寺の開山と創建について・・・「神峯山寺秘密縁起」によれば、文武天皇元年(697年)に役小角が葛城山で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、この地にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立しこの毘沙門天を祀ったことが当寺の起源とされている。(中略)宝亀5年(774年)、開成皇子が、勝尾寺(現・大阪府箕面市)から入山し、光仁天皇の命によって本堂を建立して住職となった。(Wikipedia『神峯山寺』)
神峯山寺の縁起によると「役小角の刻んだ4体の毘沙門天のうちの1体が、神峯山寺の奥の院「霊雲院=北山・本山寺」に安置されたと伝わっているようです。これを見る限り、神峯山寺とは無関係のお寺だとは思えませんよね。
古い話とはいえ、770年頃、開成皇子が両寺院を創建したとする部分は、かなり信ぴょう性が高いのではないでしょうか。
神峯山寺の仁王門の右の道をどんどん上がればそこは本山寺?!
神峯山寺への道はそれほど大変ではありませんが、本山寺の方は日頃運動していな人は結構大変で、次の日筋肉痛になってしまうかもしれません。左にちらりと見えるのが神峯山寺の朱塗りの仁王門です。
本山寺とポンポン山は右の坂道を進みます。
この日は、2020年12月5日でしたが、まだ紅葉が残っていました。この階段をのぼれば「いこいの広場」があります。
お弁当も広げられる『いこいの広場』
休日には、お弁当を広げたり、子どもたちが走りまわり遊ぶ風景も見られる「いこいの広場」。ベンチもあります。
神峯山から本山寺までは、なだらかな坂、急な坂が繰り返し続いていきます。人によりますが、ここから約1時間歩きます。
『川久保』は、高槻の心霊スポット?
右は「川久保」への道。川久保までは、ここから1.2㎞あるようです。そして、ここで車組と合流です。この先に駐車場があります。
「高槻 川久保」でGoogle検索したところ、「幽霊」というサジェストキーワードが出てきました。
川久保に心霊スポットでもあるのかと思い調べてみたところ、以下のような怪談が、当時の「新聞(大スポではない)」と「ニュース(バラエティではない)」に取り上げられていたそうなのです。
1980年代半ばごろ、とある二人組が、川久保から成合(なりあい)に向かって車を走らせていたところ、深夜にもかかわらずピンクのタンクトップを着た女の子がいたそうです。
「どこにいくの?」と声をかけてみたら「駅まで」と言うので、後部座席に乗せてあげました。
そして、成合のあたりで後ろを振り向くと、女の子がいません。どういうわけか女の子が座っていたクッションが濡れていたそうです。(ここまでは、どこかで聞いたような内容ですね)
気持ちが悪いのでクッションをその場に置いて、二人は警察官を呼んできました。警察官がクッションを持ちあげると、そこから人魂が飛び出して、どこかに消えていったという不思議な事件があったそうです。
当時、警官が証言していたらしいので、この怪談話は本当のことかもしれませんね。出典は『高槻・成合の人魂』です。
『ケルン』は道しるべ?慰霊?
山道でよく見かける「ケルン(石を積み上げたもの)」は、「道しるべ」とその山で亡くなった方の「慰霊塔」の役目をしているそうです。本山寺の参道でもたびたび見かけました。
ただし神峯山寺から本山寺へと続く道は、最初から最後まで舗装道路(東海自然歩道)です。ほぼ一本道なので、遭難することは100%ないのでご心配なく。
本山寺まで丁石(町石)があります。十二丁から一丁まであり、数字が若くなるにつれ、どんどん本山寺が近づいてきますので、モチベーションの維持に繋がります。ちなみに一丁は約109mです。
丁石の上にも「ケルン」がありますね。私もひとつ積みました。
駐車場からが本番の『本山寺』
本山寺まで残りあと約1㎞の場所に参拝者専用無料駐車場があります。
JR高槻駅方面から本山寺の駐車場に行くには、府道79号を利用し川久保方面へ。そして「本山寺・一の鳥居(二十丁石)」のところで左折します。駅からここまでは9.9㎞、所要時間は約23分。
残り900m地点にお地蔵さまとベンチがあります。この駐車場からが一番の難所かもしれません。
結構急な坂道です。車で来た人も安心はできません。
お地蔵さまとベンチのある休憩スポットが、二か所あります。水分補給をお忘れなく!
駐車場からの道は、ずっと急な登り坂になります。ただし年配の人たちも大勢登っていますので、休憩しながらゆっくり登れば多少運動不足でも大丈夫です。
石碑からは雰囲気が変わって楽勝!
ここまでくれば、残り2〜300mほどで本山寺の「中の門」に到着します。ネットで調べたところ、石碑の文字は「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」だそうです。
可愛らしい祠もあります。みずみずしい花が添えられ大切に祀られているのがわかります。
はい、ついに『本山寺』と『ポンポン山』の分かれ道(?)いや実は、右のポンポン山の方に進んでも、途中で本山寺の道に戻れます。でもせっかくだから、勧請掛をくぐっていきましょう。
『勧請掛』は、神峯山と本山寺にしかない?!
縄に12筋の樒(しきみ)を結び付けた、この形の『勧請掛(かんじょうがけ)』があるのは、本山寺以外では、神峯山寺と安岡寺(あんこうじ)のみでした。
大阪府高槻市 安岡寺の画像です。
毎年2月1日に1年の開運厄除けや家内安全などを祈願する大護摩供が行われます。
厄を払ったり願いが叶う祈りを捧げる護摩供が大護摩供です。
たくさんの山伏さんが、ほら貝を吹きながら登場します。
大阪観光気分を味わえてもらえたらうれしいです。#安岡寺 #御朱印 pic.twitter.com/bkLD2dSzgq— しもさん (@_shi_mo_san) November 1, 2020
「神峯山寺」「本山寺」「安岡寺」は、『北摂三山寺』とされ、すべて開成皇子が創建した天台宗の寺院です。ただし、「安岡寺」は現在住宅街にあり、「山寺」ではなくなっています。
北摂三山寺
- 安岡寺(あんこうじ)/南山:宝亀6(775)年2月18日に創建
- 神峯山寺(かぶざんじ)/根本山:宝亀5(774)年創建
- 本山寺(ほんざんじ)/北山:宝亀年間(770年ごろ)創建
「勧請掛」は、「鳥居」の代わりではなく「しめ縄」の原型のようですね。新しいものを設置する時期が、年末(12月22日)という習わしもしめ縄と同じです。
聖地と俗世の境界を表しているそうですが、神峯山の前でも『勧請掛』をくぐっているので、神峯山寺を経由した私は知らないうちにどこかで、いったん俗世に戻っていたのでしょう。
本山寺の縁起と天狗伝説
縁起によると、役小角が造ったとされる御本尊の「毘沙門天像(重要文化財)」は、山城鞍馬山と大和信貴山の毘沙門天と並び、「三毘沙門天」と称されているそうです。
本山寺近辺は大阪府の自然環境保全地区
本山寺を周辺とした地域は、標高500m前後で比較的市街地に近いところに位置しているにもかかわらず、樹齢100年を超す高木が多く、モミ、ツガ、カシ類等の優れた天然林や植物の種類でも淀川北部随一の豊富さを誇り、大阪府自然環境法保全地区に指定されています。
ここでも、本山寺への道とポンポン山への道に分かれていますが、先ほど分かれた右の道と同じ道です。
人里離れた山奥の空気の綺麗なパワースポット『本山寺』
小さな摂社もあります。左は中の門から入ってすぐの「福塚大明神社」、右は外にある「三社権現社」です。「三社権現社」とは、浅草神社の別名だそうです。
この「中の門」をくぐると、いよいよ『本山寺』です。現在の「中の門」は、1603年に豊臣 秀頼が再建した折りに、伏見城から移築されたと伝わっています。
本山寺の境内。空気が澄んでいます。とても心地の良いパワースポットです。
本堂への急な階段。手すりがあるのでゆっくり上りましょう。
御朱印やお守りは『庫裏』で
御朱印やお守りは、こちらの『庫裏(くり)/納経書』でいただけます。本堂へと続く急な階段の左手にあります。「辯財宇賀神王第一霊場」という表示がありますが、「宇賀神(うがじん)」とは、とぐろを巻いた人頭蛇身の神様で、財をもたらす福神として信仰されています。身体は蛇ですが、顔は女性だったり男性だったりします。
弁才天と習合または合体したとされ、この合一神は、「宇賀弁才天」とも呼ばれています。
庫裏の向い側には非常に立派な『鐘楼』があります。ベンチもあるので、ここでお弁当を広げることもできますよ。
2020年12月5日、初冬の本山寺の風景です。
高槻の古木百選のひとつ、高さ16mのイチョウ
高槻の古木百選のひとつ「イチョウ」。高さ16m、目通り周は264cm。目通り周(目通り直径)とは、立っている人間の目の位置(1.2m)の幹の直径のことです。
真心をこめて「一人一打」厳守の鐘楼
『梵音梵聲(ぼんのんぼんしゅう)』とは、みほとけの声で、余韻の響きはみほとけの説法だそうです。「真心をこめて一人一打」でお願いしますとのことです。
清浄水は良質な天然水、不動明王やみずかけ地蔵も!
清浄水
- 其の昔 開成皇子が本尊毘沙門天に備える閼伽水(あかみず※仏前に供える水)を信州諏訪明神に祈願して 此より奥本山寺山々頂近くより湧きだした不思議な霊泉です。
- 水質は濁度はほとんど無く 弱アルカリ性でミネラル分を多く含む天然湧出水です。水温は年間通して十度前後です。
不動明王の左右には、みずかけ地蔵とみずかけ不動尊。さらにその右側には伝教大師・最澄の童形像があります。「一隅を照らす」と刻まれています。
本山寺の本堂は階段のさらに上。
重厚な建築様式『本山寺の本堂』
お寺は1582年の山崎の戦いで焼失し、1603年に豊臣 秀頼が、鐘楼、楼門を再建し、1705年には、5代将軍の徳川 綱吉の生母・桂昌院が改修を加えたと伝わっています。
焼失で再建されたものとはいえ、17世紀初頭の建築です。しっかりとした作りで非常に立派ですね。
扁額にあるように、堂内には、重要文化財に指定されている木造毘沙門天立像が納められ、年に3回(1月3日、5月第2日曜日、11月第2日曜日の午後1時から3時ごろ)開帳されます。事前に電話で確認されることをお勧めします。072-687-9921
一周まわすとお経一回分の功徳が得られる「摩尼車」
「摩尼車」の「摩尼」とは、摩尼宝珠や如意宝珠ともよばれるもので、意のままに宝を出すといわれている珠のこと。
これを一回まわせば、お経を一回唱えたと同じ功徳が得られるとされています。
「摩尼車」に軽く手を当て、手前にまわしながら、般若心経の一節『羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ギャーティ ギャーティ ハーラーギャーティ ハーラーソーギャーティ ボージーソワカ)』と唱えます。
本山寺の創建にかかわった人たちが祀られる『開山堂』
こちらは『開山堂』。開山の祖、役 小角と本山寺を創建した開成皇子が祀られています。
ポンポン山への道にも鳥居あり
ポンポン山は、ここからまたひとつ鳥居を超えていきます。
本山寺の御朱印は3種類
本山寺でいただける御朱印は、3種類ありました。コロナ禍のためか、書置きのものでした。
左から「役行者霊蹟礼所(えんのぎょうじゃれいせきふだしょ)」「福徳宇賀神社」「御本尊(毘沙門天)」。ムカデの印がある理由は、ムカデは毘沙門天のお使いだとされているからです。
名称 | 本山寺 |
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所在地 | 高槻市大字原 |
電話番号 | 072-687-9921 |
参拝料 | 無料 |
御朱印 | 300円 |
交通アクセス | JR高槻駅北口から市営バス<原大橋>行き「神峰山口」下車、約6㎞ |
今回は、大阪府高槻市と京都府の県境に位置する「本山寺」をご紹介しました。最寄りのバス停「神峯山寺口」からは徒歩で約90分。
比較的市街地に近いパワースポットです。京阪神あたりからなら、もちろん日帰り可能ですので、日ごろのリフレッシュにご参拝ください。