今回はシリーズ最終回。「関西青酸連続死事件の筧 千佐子(かけひ ちさこ/1946.11.28〜)死刑囚」の半生を振り返り、3事件の「総括」で締めくくりたいと思います。
筧 千佐子の周辺で起きた不審死は10件とも14件ともいわれ、被害総額も10億円以上と、被害の大きさでは、ほかの二人(木嶋 佳苗・上田 美由紀)を圧倒しています。
筧の被害者の傾向は、木嶋と同様、婚活中の男性ですが、木嶋のケースとは違い初婚ではなく、妻に先立たれた年配の資産家男性でした。
それでは、筧 千佐子の半生を見ていきましょう。
筧 千佐子の半生
死亡 | プロフィール | 関係 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
① | 1994.9 | 貝塚市・印刷会社経営Y(54) | 結婚 | 1度目の結婚(1969.10)相手・旅先の桜島で知り合う・退院後突然死・千佐子に2000万円以上の借金を残す・印刷会社は2001年倒産・一男一女あり・当時、印刷会社では青酸カリを使っていた |
② | 2002.4 | 大阪市東住吉区・マンションビル経営 | 交際 | 千佐子にマンションを購入 |
③ | 2005.3.2 | 南あわじ市・牧場経営ST(68) | 交際 | 相続で遺族と紛糾・数億円の遺産入手 |
④ | 2006.8 | 西宮市・医療品卸会社と薬局経営M(69) | 結婚 | 2度目の結婚相手・遺産は3憶円相当・脳梗塞(?)・毒物劇物取扱責任者 |
⑤ | 2008.3.5 | 奈良市・元紳士服店とホームセンター経営OT(75) | 交際 | ガンか心疾患(?)・千佐子に全財産を遺贈するとの公正証書作成・千佐子とマレーシアで暮らす計画を立てる |
⑥ | 2008.5.17 | 松原市・兼業農業YT(75) | 結婚 | 3度目の結婚(2008.2)相手・結婚3か月後に心筋梗塞・千佐子は遺産の土地売却・遺産は1千万円(?) |
⑦ | 2009.5.5 | 神戸市北区・元県職員兼ボイラー技士ST(79) | 交際 | 2004頃知り合う・2007.12に繁華街で突然倒れ、入退院を繰り返し2009.5.5に死去・千佐子に約4000万円を貸す・遺産は2000万円 |
⑧ | 2012.3.9 | 貝塚市HM(71) | 交際 | 2010.10知り合う・バイクで転倒、死因は致死性不整脈と診断されるも再調査で青酸化合物が検出・千佐子は公正証書でマンションを取得・遺産2000万円。 |
⑨ | 2013.5.6 | 堺市・住宅設備工事会社経営KY(68) | 交際 | 1000万円を千佐子に遺贈するという公正証書を作成・借金300万円の返済逃れで殺害(?) |
⑩ | 2013.9.20 | 伊丹市・元内装業HM(75) | 交際 | 2012.10知り合う・肺がんだったが千佐子と食事後急変・約1000万円の公正証書を作成・医師が青酸中毒の症状と矛盾しないと診断 |
⑪ | 2013..12.28 | 向日市・元大手電機会社勤務KI(75) | 結婚 | 4度目の結婚(2013.11)相手・インターネットの株取引の最中に体調不良・死後、青酸化合物が検出・殺害の動機は「結婚した後、金が自由にならなかったため」・生命保険が掛けられていた |
以上の情報はさまざまなニュース記事から拾い集めたものですが、遺産の金額などにかなりの開きがあり、完璧ではありません。
しかしながら、筧 千佐子の関係者が少なくとも10名前後、突然死、不審死しているのは紛れもない事実です。
千佐子も、約10名の不審死のうち8名の関与を認める供述をしていますが、有力な物証がなく4件は不起訴となっています。
起訴されたのは、⑧HMさん(貝塚市・71)⑩HMさん(伊丹市・75)⑪KIさん(日向市・75)の殺人罪と、⑦STさん(神戸市・79)の殺人未遂罪の4件です。
いずれも年配の男性ですが、結婚相談所に登録して新しいパートナーを見つけ、ともに老後の人生を楽しもうとしていた人たちなので、心身ともに若々しい人たちだったと思われます。
神戸在住のSTさん(79)にいたっては、「俺は150歳まで生きる」と周囲に語るほどお元気でした。
千佐子とさえ出会わなければ、この先もまだまだ人生は続いていたはずなのに、心が痛みます。
弁護側は「筧 千佐子は認知症が進行しており、責任能力も訴訟能力もない」と「無罪と裁判の打ち切り」を主張していましたが、裁判所は千佐子の「完全責任能力」を認め、2021年6月29日、死刑が確定しています。
2021年7月5日に千佐子を取材したノンフィクションライターの小野 一光さんの話では「(逮捕された)3年前から変化は見受けられない」ということなので、千佐子に認知症の症状があったとしても、年齢相応のごく軽度のものでしょう。
(少なくとも)3名の男性の尊い命を奪った罪は免れないと思います。
筧 千佐子の生い立ち
筧 千佐子(1946.11.28~)は、未婚の母のもとに生まれ、長崎県から北九州市(当時は八幡市)の山下家に養女に出されたとされています。
山下家は父親が大手製鉄会社勤務、母親が専業主婦という家庭でした。
中学を卒業した千佐子は、1962年4月に県内有数の名門校、県立東筑(とうちく)高等学校に進学します。東筑高校は1898年創立の歴史ある高校で、校訓は「文武両道 質実剛健」。
卒業生には、映画俳優の高倉 健さんや芥川賞作家の平野 啓一郎さん、オリックスバファローズの仰木 彬監督も名を連ねています。
当時千佐子は手芸部に属し、美人の上に成績も優秀とあって、男子生徒たちのあこがれの的だったそうです。
千佐子は大学に進学し、教師になりたかったそうですが、「女の子に学歴は不要だ」と考える両親の反対にあい、大手都市銀行に就職しています。
千佐子被告は深くため息をつきながら、こう語った。「先生から九州大学なら絶対に合格やと言われていた。もっと上も大丈夫という先生もおったよ。けど、九州の田舎は、女が大学行くなんてととんでもない、という古風な土地柄だったので就職しかなかった。高卒ではまず入れない大きな銀行に入れた。そこでもうちはよくできると、上司からも評価されていた。
それがなんで、こんなところに今、おるんやろうか。九州大学に行ってたら、拘置所にいることなんてなかった。それがうちの人生の分かれ目やった」(週刊朝日オンライン2019.5.24)
文部科学省の統計によると、1965年当時の女子の大学進学率は4.6%でした。
大学進学を諦めた過去を、50年以上も引きずるのはかなり不可解なのですが、前述の小野 一光さんにも大学に進学させてもらえなかった不満を何度も話していたようです。
彼女には、物事が自分の思い通りに運ばないことに対して、常に強い被害者意識を抱く傾向がある。私自身も過去の面会時に、大学に進学させてもらえなかったことや、最初の結婚時、嫁ぎ先で夫の親族に蔑まれたことなどの愚痴を幾度も聞かされてきた。
常に自分は弱者であるとみなし、相手が悪いとしたうえでの、「ルサンチマン(怨恨・憎悪・嫉妬の感情のうっ積)」が、一連の犯行に繋がっている気がしてならない。(NEWSポストセブン2021.7.15)
小野さんが、4度目にして最後の結婚相手だったKIさん(日向市・75)への気持ちを尋ねると、「申し訳ない気持ちはある」と即答したものの、動機については「差別されたから」と答えたそうです。
千佐子がいうには「KIさんは、以前交際していた女性には数千万円もの大金を渡していたのに、自分にはケチで、結婚しても自由にお金が使えなかった」そうなのです。
教師になるには大卒の学歴が必要なのかもしれませんが、ならば、銀行で働きながらお金をため、多少回り道してでも進学すれば良かったのではないかと思います。
千佐子にとっては不本意だったはずの銀行への就職ですが、2010年に発行された東筑高校の同窓会名簿は、住所は更新されているのに、勤務先は独身時代の「S銀行」のままだったそうです。
就職先の銀行でも「優秀な上に吉永 小百合と野際 陽子を足して二で割ったような清楚な美人として評判だった」とか…(当時を知る知人談)。
23歳で「玉の輿」47歳で「未亡人」となる
1960年代に大学進学を志望するような一見キャリア志向にも見える筧 千佐子ですが、旅先の桜島で出会った大阪府貝塚市の男性と23歳で結婚します。
Yさんはトラック運転手から印刷会社を立ち上げた人で、従業員は10名ほどいたようです。
(理由は不明ですが)双方の親の反対を押し切り、1969年10月に結婚。千佐子本人は、周囲に「玉の輿」だと羨ましがられたと語っています。
この結婚で一男一女をもうけましたが、安い中国製品の影響を受け、会社の経営は次第に傾きだしました。そんなとき、54歳の若さで夫が病死し、千佐子は47歳で未亡人になります。1994年9月のことでした。
千佐子には2000万円以上もの借金が残されましたが、実家や知人から借金を重ね、事業を継続します。けれどその甲斐なく会社は2001年に廃業し、土地と建物は競売にかけられてしまいました。
あくまでも千佐子サイドの話ですが、夫の親せきは千佐子に冷たく、彼女は周囲に「北九州は近代産業発展の中心になった八幡製鉄所がある地域。そこの出身者が、なんでこんな田舎(大阪府貝塚市)の人に馬鹿にされなならんの?」と愚痴を言っていたそうです。
夫が亡くなったのは、退院直後の自宅でした。さすがに千佐子が殺害したと思ってはいないでしょうが、親族が彼女を快く思わなかったのも仕方がないことなのかもしれません。
この頃から千佐子は、先物取引やFX(外国為替証拠金取引)、マルチ商法などの投資にのめり込むようになります。
結婚相談所でもシニア男性から人気ナンバーワンの女性だった
千佐子の周囲で次々に男性が亡くなりだしたのは、初婚の夫をのぞけば、2002年4月が最初になります。
この男性はマンションやビルの経営者で、千佐子に大阪市内のマンションを購入してあげたそうです。
この男性がどこで千佐子と知り合ったのかは不明ですが、彼女は複数の結婚相談所に登録することで結婚を前提とした交際相手を探し始めました。
結婚相談所のスタッフの話では、千佐子は年齢より若く見え、同世代以上のシニア男性の間では「綺麗で性格も良い女性」として一番人気だったそうです。
お見合い写真も、プロに撮影してもらったのか、随分と気合が入っていますね。この優しそうな笑顔に多くのシニア男性たちが心を奪われたのだと思います。
私たちが知る筧 千佐子は、警察に追及されていた心労からか、婚活時代と比べてずいぶん老け込んでいたそうです。
第2の人生に夢ふくらませてます。私の性格は明るくプラス思考で寛容でやさしいです。相手の方への思いやりと尽くすことが私の心意気です。健康管理と明るい家庭が“妻のつとめ”と思います。(筧 千佐子の自己紹介文)
趣味は「ガーデニング」と「映画鑑賞」。最初のお見合いにはスタッフも同席するのですが、控えめで貞淑な女性を演じ、男性の自慢話にもすかさず褒めていたとの証言がありました。
髪をセットし淡いピンクのワンピースを着こなす千佐子は、見ようによっては高級クラブのママのようにも見えたそうです。
男性の中には「絶対にあの人でなければダメだ」という人も大勢いたそうで、殺人などしなければ、旦那さまに愛されて裕福で幸せな人生を送れていたのではないでしょうか。
本人は「結婚は1回。病気で夫に先立たれ、子どもたちは独立したので、このまま一人でいるのがさみしい」と語っていたそうです。
もっと年下の初婚の女性ならば、シニア男性たちも警戒したかもしれませんが、バツイチで子どもがいる女性ならば、「ありえない話ではない」と考え、罠にはまったのでしょう。
婚活中の千佐子は、復氏届をしており、最初の夫の苗字を使い続け、表面上は「バツイチ」に見えました。
結婚相談所のスタッフや、千佐子とお見合いした人、交際した人の話を集めてみました。
- ストローの皮をむいて渡してくれる。細やかな気遣いのできる人。
- レストランで席を立って帰る時も、ハンガーからコートを外し、そでを通してくれる。
- 「愛する〇〇さん」「あなたに会えて幸せ」「あなたが大好き」「早く会いたい」といった内容のメールをマメに送ってくれる。
- 「通い妻」として相手をやきもきさせ、自分のペースに巻き込んでいく。
- 小ぎれいで話し上手。とても頭の回転が速い。
- 九州の名門校から都銀に就職したことを何度もアピールする。
- お見合いの日に家にやってきて、買ってきた食材を持ち込み手料理を振る舞った。
- メールにはハートマークや絵文字を多用。
「オレは今が一番幸せだ」「千佐子さんと会って初めて”幸せ”を知った」「理想の人に巡り会った。これからの第二の人生が楽しみだ」と友人や近所の人に嬉しそうに語っていた男性たちが、その数か月後に突然亡くなるのですから、本当に悲しくて恐ろしい話です。
千佐子が相談所で結婚相手に求めた条件は①経営者か資産家 ②子どもがいないか疎遠 ③持ち家ありの3つ。
千佐子はまた、男性と結婚前提の交際が始まるとすぐに公正証書の作成を求めました。
「あなたに万一のことがあると私は路頭に迷う。安心のために公正証書を作っておいてください」と頼んでいたそうです。
「千佐子に嫌われたくない」という気持ちが一番なのでしょうが、年齢が年齢なので、ほとんどの男性が納得して快く応じたそうです。
「千佐子が信じているのはお金だけ」と語る交際相手だった作家
週間フライデーの報道では、筧千佐子は、最初の夫が死去した3年後の1997年の夏頃に、お見合いパーティーを利用した婚活を始めています。
パーティーで知り合い1年ほど一緒に暮らすことになったのが、『無鄰菴(むりんあん)への旅』の著者で知られる作家の奥宮 信士(おくみや しんじ)さん(75)。
奥宮さんによると千佐子はとにかく頭の良い女性で、哲学書や経済書、料理本まで、凄まじい数の本を読んでいたそうです。
所作や容姿の美しさだけではなく、話題の豊富さも彼女の人気の理由だったのでしょう。
出会ってすぐに意気投合し交際に発展した二人ですが、わずか1年足らずで別れることになります。
奥宮さんが「財産の管理は姉に任せている」と話すと、千佐子は非常に落胆し、奥宮さんの所有する山で捻挫をしたときには、「治療費をよこせ」とまで言ってきました。
徐々に嫌気がさしてきた奥宮さんが別れを告げると、3〜4発のビンタが返ってきたそうです。
千佐子は奥宮さんとの交際中から、外貨や絵画、骨董品で投資をしていました。
奥村さんは「千佐子はお金だけを信じ、(自分も含めて)レベルの低い男性の命は軽いと見下していたのではないか」と振り返ります。千佐子はお金目当てで作家の奥宮さんに近づいたのだと思われます。
男性が資産家でない場合は、命までは取られないのでしょう。けれども、不愉快な思いをした男性は奥宮さん以外にもたくさんいそうです。
筧 千佐子の人生はどこで曲がったのか?
男性からだまし取ったお金の総額は10億円とも12億円ともいわれている筧 千佐子。
けれども、外貨や先物取引な投資の失敗で、逮捕時、お金はほとんど残っていなかったようです。
千佐子は容姿端麗で頭も良く、女子高生時代から男性の憧れの的であり、お見合いパーティーや結婚相談所でも一番人気の女性でした。
木嶋佳苗や上田美由紀とは違い、盗癖もなかったようです。
最初の結婚は25年近く続いていました。あくまでも個人的な見解ですが、この結婚生活が終わったことで、それまで張りつめていた糸がプツリと切れたのではないでしょうか。
千佐子は、自分の人生がこうなってしまったのは、大学進学を諦めたせいにしていますが、これは「後付けの理由」だと考えられます。
23歳で早々と結婚したことからも、彼女は決してキャリア志向ではありませんでした。
県内有数の名門高校からメガバンクに就職、「玉の輿」といわれた印刷会社社長との結婚。
字面を追うだけでは、華やかな「勝ち組女性の人生」にも見えますが、実際は、25年も尽くしてきた夫は多額の借金を残して病死、さらに夫の親せきからは疎まれ、頭の良さだけでは勝てない投資で失敗し借金まみれに。
「才色兼備の私の人生はこんなものではない」「私の人生がこうなったのは大学に進学させてくれなかった養父のせいだ」「大学にさえ進学していれば、もっとレベルの高い男性と知り合え、借金苦などにはならなかったはずだ」と「不遇な人生の原点」を探し、頭の中で無限ループを繰り返していたのではないでしょうか。
彼女が最初から遺産目的でシニア男性たちと結婚したのか、結婚してみたら自分に釣り合わない相手だとわかったから簡単に殺害し、遺産は短い夢を見させてあげた「手数料」だったのかはわかりません。
千佐子本人ですら、いまだにわかっていないのかもしれません。
青酸カリはカプセルに入っていたそうです。高齢の夫の健康を気遣うふりをし、健康食品だと偽り飲ませました。
木嶋 佳苗の被害者同様、筧千佐子の被害者も「幸せ」のうちに亡くなったのだと想像できます。
木嶋佳苗、上田美由紀、筧千佐子、3つの事件から学ぶ「危険な異性」とは?
3回のシリーズでは、女性の魅力を悪用し男性からお金を騙し取ったうえに、命まで奪った連続殺人犯3名の半生を振り返ってみました。
子どもの頃から不良少女だった木嶋や上田とは違い、筧千佐子は、最初の夫が亡くなるまでは、真面目で品行方正な女性だったのではないでしょうか。
最初の結婚のみ25年間も続いていたということは、この男性だけは本当にご病気で亡くなったのかもしれません。
被害男性の年齢層や状況は違いますが、女性3人の共通項は、口のうまさと類まれなコミュニケーション能力です。
木嶋 佳苗と上田 美由紀に関しては、太めの容貌ばかりが取り沙汰されていますが、本当に注目すべき点は、彼女たちの人を信頼させる高度なテクニックの方だと思います。
男性さえ騙さなければ、みな人並み以上の幸せをつかめただろうにと思うと、残念でなりません。
老いも若きも素敵なパートナーを見つけて幸せになりたいと思う権利は誰もが持っていますし、幸せになるチャンスはあらゆるところに転がっているはずです。
3人の女性の手にかかり命を奪われた男性たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。